登り過ぎたカラマツ

『カラマツは本性として上方へ伸びてゆく樹形の木である。でもここは猛烈に風の強いところだ。ことに冬の季節風はすさまじい。でもこのカラマツは意地っ張りでその本性を曲げようとはしなかった。上に少し伸びる。風に曲げられる。それでも伸びる。曲がった…

加藤泰三のA小屋

「疲れて夕暮近くやっと小屋に着いた。小屋には予想通り誰も居なかった。 『番人無しで約十人位しか泊れなくて、水に不便で汲んで来るのには西北に少し下り、片道七分位かゝる。其処を利用する者は少なくA岳とG岳の鞍部に在る』 そのような事が、予め僕の…

河上肇

『漢詩を日本読みにするのは、簡単なことのやうで、実は読む人の当面の詩に対する理解の程度や、その人の日本文に対する神経の鋭鈍などによつて左右され、自然、同じ詩でも人によつて読み方が違ふ。』「閑人詩話」 iPhoneで青空文庫をあさっていたら、河上肇…

加藤泰三『霧の山稜』

先日の古本市で買った一冊。昭和16年に出版された山の画文集で、著者は当時30歳の加藤泰三。木彫家加藤景雲の三男として生まれ、東京美術学校彫刻科を卒業後、院展に入選を重ねていた若手彫刻家で、学生時代から短歌や詩を作り、雑誌の装幀や装画なども手が…

内田百閒の小説

『「大藪、小藪、ひっから窓に蜂の巣。お解りになりまして」「いいえ」「ひっから窓はお目目よ。鼻の穴が二つあって、蜂の巣みたいじゃありませんこと」 また手を上げて、その辺りをくしゃくしゃと撫でた。「小川に小石、歯の事よ、先生。何だかぼんやりして…

内田百閒

『隧道を出ると、別の山が線路に迫って来る。その山の横腹は更紗の様に明かるい。降りつける雨の脚を山肌の色に染めて、色の雨が降るかと思われる。ヒマラヤ山系君は、重たそうな瞼をして、見ているのか見ていないのか、解らない。「いい景色だねえ」「はあ…

佐伯祐三と鐵齋・加藤周一

昨日の佐伯祐三と鐵齋の対比はほとんど加藤周一の受け売りだったりする。というか、佐伯祐三の絵の本場に匹敵する質の高さを目の当たりにしながら、明治以降の日本の芸術的創造力の動向に対する加藤周一の卓抜・明快な見取り図を思い浮かべることで、その天…

深田久弥・硫黄岳

『四十年前、私が初めて登った時は、八ヶ岳はまだ静かな山であった。赤岳鉱泉と本沢温泉をのければ、山には小屋など一つもなかった。五月中旬であったが登山者には一人も出会わなかった。もちろん山麓のバスもなかった。 建って二、三年目の赤岳鉱泉に泊まり…

鏑木清方・夏

『夏になるとどういふものか遠い過去になつた昔の東京生活が、現にかうして生きてゐる世界よりもずつと近く思はれ、覗き眼鏡の寫眞のやうに見えてくる。 年寄は昨今のことよりも、自分の若い時分見たりきいたりしたことのはうが、よく憶えてゐるものだからか…

林達夫メモ

『林さんが園芸好きになった理由は「家の付属としての庭を作る必要から」だったと「私の植物蒐集―〔実際園芸〕主幹に答へて」の中で記している。ご子息の杲之介氏から「私の家―日本古農家を古英国風田舎家に―林達夫」というコピーを送っていただいた。一九三…

紫陽花・清方・鏡花

庭のガクアジサイがきれいな季節だ。ガクアジサイというものの、本来アジサイの花に見える部分はガクなのだから、普通のアジサイこそがガクアジサイであって、ガクアジサイはガクの花が少なく、中央の本当の花の部分がよくめだつもの。これこそが花としての…

鏑木清方

『近年は世界中の調子が不順なせいか、俳諧の季題で味わっていたような季節感が、年ごとに薄れていくのは味気ない。もっともこれは動きやすいこっちの気持ちがそうさせるだけなのか、非情の草木に多少遅速はあるとしても己れの花の出番は忘れず、降ったり照…

四川の陸游

成都書事 劔南山水 盡く清暉 濯錦江邉 天下に稀なり 烟柳 樓閣を遮り斷ぜず 風花 時に馬頭を逐って飛ぶ 芼羹の筍は稽山の美に似て 斫鱠の魚は笠澤の肥の如し 客報ず 城西 園の賣る有りと 老夫 白首 歸るを忘れんと欲す『だが詩人は蜀(四川)の地方を愛して…

井上ひさし『ボローニャ紀行』

『日常の中に楽しみを、そして人生の目的を見つけること。 商店街へ出かけてうんと買物をしたり、遊園地へ行ったり、温泉や何とかランドへ出かけたり、そういう非日常の方法でしか楽しむことができないのは、少しおかしいのではないか。ただし、日常の中に人…

この世の楽園

『私が黒谷で会ったある老紳士は、私と同じようにこの美しい国にすっかり魅せられていたらしく、私にこう言った。「あなたはまだお若いから、こういう美しい場所にきて、私がどんなに喜びを感じるかお分かりにならないでしょう。あなたには若さも力もある。…

鏡花・山雀

昨日のヤマガラ話の続き。社寺の縁日や祭りで山雀がおみくじを引いたり、輪くぐりをしたりするのに興じる、かつての日本人の姿を想像してふと思ったのが、泉鏡花もきっとこの可憐な見せ物が好きだったのではないかということ。いい加減な読者ゆえ、そんな場…

大野 晋

『娯楽は必要である。しかし軽佻と快笑とはちがう。だいたいラジオ、テレビ以前は娯楽は正月・藪入りなど限られた日に特別な場所で楽しむもので、連日連夜、浮薄な笑いにひたされることは、かつてなかった。これでよいのか。』「日本語の源流を求めて」 言わ…

須賀敦子・千日前

『礼をいっておばさんと別れ、陽の落ちないうちにと西門を出て、地図にあったとおりの広い道路を渡って、一心寺に急いだ。ここも、堂宇はすべて閉まっていて、前を通った手洗所から浮浪者が出て来たりした。あわてて入口に戻ると、山門をくぐって、むかし祖…

鏡花・栃ノ木峠

『 蕭殺たる此の秋の風は、宵は一際鋭かつた。藍縞の袷を着て、黒の兵子帶を締めて、羽織も無い、澤の少いが痩せた身體を、背後から絞つて、長くもない額髪を冷く拂つた。……其の餘波が、カラ/\と乾びた木の葉を捲きながら、旅籠屋の框へ吹き込んで、大な爐…

栃の実・泉鏡花

別山の千振尾根で拾った栃の実をしばらく放っておいたら、すっかり枯れて、皺が寄り偏平になり、けれどチョコレート色のしっかりした堅果になって、掌のうえで可愛い。拾ったばかりの丸々黒々艶やかだった様子とはずいぶん違うが、それでも秋の賜物を感じさ…

林達夫・ローズマリー

『私のように庭を歴史的な植物蒐集の場所としている人間にとっては、庭はいわば日附ある風景である。…中でもラヴェンターとマヨナラ草とはその由緒深さから言っても風情から言っても私の偏愛の植物で、私の庭でもこの両者には断然優先の場所が与えられている…

葛城山・本居宣長

『なほ西には金剛山、いとたかくはるかに見ゆ。その北にならびて、同じほどなる山の、いさゝか低きをなん、葛城山と今はいふなれど、いにしへはこのふたつながら葛城山にて有りけんを、金剛山とは寺たててのちにぞつけつらん。すべて山もなにも、後の世には…

譲位

まだぎりぎり8月だというのに、今夜の秋めいた気配はどうだろう。山から下りた次の日から不安定な天候が続き、夏から秋への譲位は急速に進んでいるよう。かろうじて夏山に間に合って、充実した2日間を3千mの稜線で過ごせた、終わり良しの夏だったな。深…

荒れ庭・鏡花

庭は今、混沌の極み。暑いのと蚊がたまらんのとで、ずいぶん長く手入れを放棄しているうえ、軒並み宿根草の株が古くなって、散漫に弱々しく伸びた茎が倒れ伏して、さながら浅茅ヶ原。そういえば、泉鏡花に「淺茅生」という小説があって、乱れた庭を身重の美…

泉 鏡花

鏡花の「歌仙彫」はこの季節の濃い緑の下で語られる一篇。舞台は黄昏の深川・冬木弁天堂。堂守の僧が額堂の下に佇む人影に声をかける。「 トぎよつとした體で、『はあ、』 と答へた、……薄茫乎と其の暗い中に、誰が描いたともなし額縁も無くつて立つた、痩せ…

水西荘と鐵齋、メモ

「御幸町の家は餘り狭い。殊に夫人は身重になった。丁度其頃頼山陽の舊居三本木の水西荘、即ち山紫水明處が空家になったので由縁ある家であり翁は喜んで此處へ移った。此家の東側は加茂川で其の對岸に梁川星巖の宅があり、紅蘭女史が一寸野菜買ひに行くにも…

吉田秀和のハスキル

[Blue Sky Label]にクララ・ハスキルのスカルラッティソナタ集がある。吉田秀和が『私の好きな曲』という本のなかで、スカルラッティの演奏として推しているものの一つ。曰く、「私の愛するスカルラッティのもう一枚のレコードはクララ・ハスキルのそれだ…

YouTubeのホロヴィッツ・吉田秀和

YouTubeで見つけた掘り出し物影像その2。ウラジミール・ホロヴィッツが1983年に初来日した際のコンサート影像だ。大家ホロヴィッツも当時80歳。テクニックの衰えはあって当然だが、この演奏はそんなレベルのものじゃない。聞くも無残。どうしてここまでボロ…

アーサー・ビナード

「人間が宇宙へ出かけて、実際に得られるものはといえば、下痢と不眠。長期滞在すれば骨がスカスカ。筋肉も心臓も衰え、免疫力が低下、うつ病にもかかりかねない。…この二十余年の間にスペース・シャトルで行われてきた数々の実験も、まるで収穫がなく(残念…

泉 鏡花

旧大屋町横行('06年2月)「雪の越路は、村里も、町も、峰の如き雪に降埋めらるゝ時は、屋根に積つた雪を降す。大空が雲に閉ぢられて、其の白いものが、毎日々々、日とも言はず、夜とも言はず、ひた降に降りしきる間は、たゞ積るばかりであるから、豫て、此が…