鏑木清方・夏

『夏になるとどういふものか遠い過去になつた昔の東京生活が、現にかうして生きてゐる世界よりもずつと近く思はれ、覗き眼鏡の寫眞のやうに見えてくる。
 年寄は昨今のことよりも、自分の若い時分見たりきいたりしたことのはうが、よく憶えてゐるものだからかと思ふが、同じ昔のことでも夏の外の季節になるとレンズには多少の翳がある。
 ひとゝせ明治の市井生活を長巻にかいた時でも、主題に撰んだのは夏の一日であつたが、その後、秋も冬も別に手がけることなくて過ぎた。
 四季折々、私は一體季節を伴なふ生活にいつも強く畫興をそゝられる質ではあるが、それがとりわけ夏の場合が多い。ゆかた、行水、つりしのぶ、蟲賣、縁日、夏芝居、夏と共にあるほどの季節風物は、袂のものを探るやうに心やすくとり出せる。あさまな家のあけはなしに見通される庶民の暮らしが、いつよりも夏にその節を得て精采奕々たるものあるが故であらうか。』「郷愁の色」
『この頃の暑さに向つて私は秀麗な山水を想ふことなく、却て物足りてゐた東京市井の雜踏の中に代々を經て釀し出された、眞夏の行事、物賣、飮食の末々まで、都會人の趣味に根を下し枝を生じ、我々の生活を構成して、それも今では残りなく滅び去つた日常凡百のものゝの中に、涼を趁ふこと頻である。』「涼味」
 夏の暑さが苦手で、毎年夏痩せをかこちがちだったという鏑木清方だが、一方で江戸の余光たゆたう東京の夏の風情を愛し、この季節の名随筆を殊に多く残している。そのなかから、失われゆく東京の夏への愛惜を語った文章。彼がいとしんだ生活の種々相に、クーラーや冷蔵庫がまだなく、蚊帳を吊って浴衣で寝た、ほとんど機械に頼らない夏暮らしの記憶がある昭和30年代生まれとして、かすかに共感を通わせることができるのが何より嬉しい。