内田百閒

『隧道を出ると、別の山が線路に迫って来る。その山の横腹は更紗の様に明かるい。降りつける雨の脚を山肌の色に染めて、色の雨が降るかと思われる。ヒマラヤ山系君は、重たそうな瞼をして、見ているのか見ていないのか、解らない。
「いい景色だねえ」
「はあ」
「貴君はそう思わないか」
「僕がですか」
「窓の外のあの色の配合を御覧なさい」
「見ました」
「そこへ時雨が降り灑いでいる」
「そうです」
「だからどうなのだ」
「はあ。別に」
 それで大荒沢へ着いた。』
 内田百閒が面白くなり、ボツボツ読んでいる。まず世評通り随筆が面白い。阿房列車シリーズなど、鉄道随筆の嚆矢であるとともに(百閒は小説と称したそうだが)、膝栗毛の伝統を継ぎ、同行のヒマラヤ山系こと平山三郎との掛け合い道中記の魅力もそなえる、というような分析はともかくとして、何よりもぶっきらぼうでいながら可笑しみがにじみ出るような文章がいい。
 阿房列車旅行記だが、この旅の目的は列車に乗ることだから、手段が目的で旅先での滞在はそのための手段という倒錯した旅。だから一般の旅行記に似ず、名所の類はほとんど登場せず、列車内のあれこれと旅宿での飲み食いばかりが描かれる。毎度のパターンだから、回が進むと百閒先生も手抜きをしていきなりこう書く。
「さあ、始めよう」
 何を始めるかというと、もちろんコンパートメントでの、あるいは食堂車に居すわっての、また宿での一杯である。どこをめざすでも、何を見るでもない、自分の気に入りのことだけを反芻するこの旅行記が、それでも退屈と正反対の面白さをもつのはひとえに文の力による。文は人也、内田百閒という人の面白さがこの本には横溢している。
 もっとも、旅にはイレギュラーは付き物だから、時には先生の気に入らないことにもぶつかる。百閒はドイツ文学者らしくどうも一徹な論理癖をもっていたらしいから、まあまあで済ませることはしない。おなじみの口をへの字にした写真の百閒先生の登場となる。けれど、それが神経質でも攻撃的でもなく、悠揚迫らぬ表れ方をしている所に、読むものを微笑ませるとともに首肯させる文=人の豊かさがある。百閒先生の説く理非曲直には浄化作用のようなものがあって心地いい。それは効率本位の殺伐とした教条主義みたいなものが蔓延している今こそ必要なものかもしれない。 
『「あっ、発車する」と思ったら、階段の途中で一層むっとした。
 その音を聞いて、あわてて階段の残りを駆け登るのはいやである。人がまだその歩廊へ行き着かない内に、発車の汽笛を鳴らしたのが気に食わない。勝手に出ろとは思わない。乗り遅れては困るのだが、向うが悪いのだから、こちらに不利であっても、向うの間違った処置に迎合するわけには行き兼ねる。』