加藤泰三『霧の山稜』


 先日の古本市で買った一冊。昭和16年に出版された山の画文集で、著者は当時30歳の加藤泰三。木彫家加藤景雲の三男として生まれ、東京美術学校彫刻科を卒業後、院展に入選を重ねていた若手彫刻家で、学生時代から短歌や詩を作り、雑誌の装幀や装画なども手がける多才の人だったようだ。
 中学3年から始めたという山登りに関する文章や絵も多く、この本はそれらを書肆に乞われて集めたもの。あとがきには「記述中の自分の山旅は、昭和三年七月の奥秩父に始ったものから、それ以後、昭和十六年一月の上高地までのもの」とある。
 手に入れた本は昭和46年に二見書房から出た覆刻本だが、覆刻はこれが初めてではなく昭和30年代に朋文堂から二度の覆刻と新書判が出ているし、この後1998年には平凡社ライブラリーにも収められた。著名登山家でも一家をなした著述家でもない一人の山好きの若い彫刻家の本が、時代を越えて愛され続けてきたことを物語る出版歴だといえるだろう。
 この本は何よりも青春の書だけれど、さまざまな可能性が未分化に混在する青春そのままに、内容は詩・短歌・随筆・手紙文と多様で、その多くに手腕とセンスを感じさせる絵を伴う。文章も絵もそのタッチは抒情あり諧謔あり硬軟さまざまだが、それぞれに読むものを魅了する新鮮な実感がある。変転きわまりない山の風光のように、この一冊からは瑞々しい才能の輝きがめまぐるしく色を変えながら四方八方に放射しているようだ。
 こんな魅力的な才能を目覚めさせ、磨きあげた自然という培地、登山という営為は、やっぱり人にとって意味のないものではないとあらためて思う。

『「もっと気をつけなければ不可ない。もっと/\落着いていなければ不可ないのだ」「先程は怖がり過ぎた。余り山側に傾き過ぎた。きっと、そうだ。そうに違いない」
 耳に鳴る風の中で、そんな事を思い乍ら、僕は友人の鮮かに残したシュプールに、時々大穴を穿けて彼を追うのに忙しかった。
 白く霞む森を抜けながら、両側に廻り去る大きな幹を感じながら、微かに雪輪に当った何かの感触を後に残しながら、そして、また山に来ようと火のように想いながら……。』「帰路」