和歌浦展図録

地方の美術館や博物館に行くと、ローカルな作者や地誌を取り上げた過去の展覧会の図録に出会うことがあり、売店を覗くのを楽しみにしている。先日の和歌山市立博物館でも図録のバックナンバーがなかなか充実していて、桑山玉洲展のものと標記のものをピック…

泣菫随筆

正月以来、すっかり薄田泣菫の随筆に惚れ込んで、オークションやネット古書店で安く出てるのを見つけては手に入れてきた。もう一冊『大地讃頌』も注文しているのだが、古書店がすぐには見つからないと言ってきたので、気長に発掘を待っているところ。 現在文…

素白随筆

買ったまま読んでない本が、小さな本箱いっぱい溜まっている。最近めっきり読書量が落ちているのに、何かの折に心に留まった本はとりあえず買うという習慣は変わってないから、購・読のバランスはずっと不均衡で、その結果がこの積ん読状態である。といって…

棲鳳園詩集

先日オークションで落札しそこなった詩集。高値がついたわけではないのに踏ん張らなかったのは、立命館大学の書籍閲覧システムに全ページの画像データがあるのを、親切にも出品者が教えてくれていたから。和本には強烈なフェティッシュ性があるが、後々の保…

「現代思想」臨時増刊・加藤周一

まず表紙がかっこいい。思わずもう一冊買って壁に飾っておこうかと思った。 加藤周一は容貌もなかなか魅力的な人だった。生涯に3人の妻を持った。すなわち、彼に惚れる女は多かったし、女性との交遊を心から楽しむ人でもあったようだ。 抜群の知性は感覚の…

丹生樵歌

10日前に落札して以来、首を長くして待っていた古書がようやく届いた。地元、旧山田村に産した江戸末の漢詩人、山田翠雨の詩集『丹生樵歌(たんじょうしょうか)』。ぜひとも手に入れたかった探求本だ。遂にと快哉を叫びたいところだが、手に入れたのは端本一…

加藤泰三『霧の山稜』

先日の古本市で買った一冊。昭和16年に出版された山の画文集で、著者は当時30歳の加藤泰三。木彫家加藤景雲の三男として生まれ、東京美術学校彫刻科を卒業後、院展に入選を重ねていた若手彫刻家で、学生時代から短歌や詩を作り、雑誌の装幀や装画なども手が…

古本市

三宮のサンボーホールで古書市が開かれているのでのぞいてみた。県下最大級の催しだそうで、20ほどの古書店が出店している。最近はネット古書店を重宝する一方で、実店舗をのぞくことは稀になってしまったが、これだけ本が並んでいるとやはりワクワクする。…

文庫本2冊

これで三千円也(税抜き)。いやはや、文庫本との付き合いも長いが、この程度のボリュームでこんなに高くついたのは記憶にないなあ。星一つが50円ののどかな時代が懐かしい。もっとも、どっちも講談社文芸文庫で、ニッチ狙いの特異な編集方針を堅持するこの…

水村美苗『私小説』『本格小説』

『日本語が亡びるとき』で日本の現代小説をばっさり切って捨てた著者の、では実作はどうなのだろうと、久々に日本の新しい小説を読んでみた。ずいぶん人を食ったタイトルの小説だが、どちらも面白かった。考えたら日本の現代小説を投げ出さずに最後まで読ん…

『温泉案内』

温泉案内一巻。博文館昭和6年刊。編纂は鉄道省というから、後の運輸省あるいは国鉄のオフィシャルガイドといったところか。手許のものは昭和12年の第18版。版数を見ると当時のベストセラーだったことがうかがえる。 装幀がちょっといい。布表紙の表は鶴ある…

水村美苗『日本語が亡びるとき』

先日の朝日新聞書評でも取り上げられていた通り(何とも舌足らずな評だったけど)、実に刺激的な本。挑発的な本でもある。 重要な論点が幾つもあって、まだ頭のなかで整理できてないけれど、一応自分が大ざっぱに理解したところを組み立ててみると。 1)言…

エドワード・サイデンスティッカー『東京 下町山の手』

東京見物の復習本。 副題に「1867―1923」とある。1867はもちろん御一新、ならば1923は? それは関東大震災の年。この年を限りに江戸文化の名残をとどめていた下町は消えてしまった。そのことの確認からこの本は書き出される。最初から挽歌の色合いは濃い。荷…

翠雨軒詩話

ようやく手に入れた地元旧山田村が生んだ幕末明治の漢詩人山田翠雨の版本。本命はもちろん漢詩集の「丹生樵歌」なのだが、これはたまに出てもなぜかバカ高い値がついていて、手が出ない。代わりにというわけではないが、翠雨のもう一つの出版物である「翠雨…

ケン・フォレット『大聖堂』

久しぶりに出会った血湧き肉躍る物語。頽廃した修道院の復興をめざす修道院長と大聖堂の建設を夢見る石工を主役にした西洋版歴史大河ロマン。修道院を舞台にした小説といえば、『薔薇の名前』を思い出すが、あれは学者が高度な蘊蓄を傾け、想像的探求を逞し…

宋三大家律詩

オークションで落札した標記の版本が届いた。かなり傷んで書き込みも多い本とあったので、初値で落ちるならと応札したもの。なるほどエラくくたびれた本。もしかしたら江戸のものかと期待していた書き込みも、鉛筆と万年筆交じりの新しいものでがっかり。書…

井上ひさし『ボローニャ紀行』

『日常の中に楽しみを、そして人生の目的を見つけること。 商店街へ出かけてうんと買物をしたり、遊園地へ行ったり、温泉や何とかランドへ出かけたり、そういう非日常の方法でしか楽しむことができないのは、少しおかしいのではないか。ただし、日常の中に人…

吉田秀和『永遠の故郷 夜』

今年おん年95の音楽評論の名匠からの贈り物。「すばる」に連載中の文章をまとめたもので、歌曲をめぐって詩と音楽の自在な鑑賞が展開される。原詩と楽譜を交えた精緻な吟味は例によって猫に小判だが、そうでなくても稀な高みに達した言葉と音の響きあいは、…

續宋詩清絶

出たのかどうかと昨日書いた「宋詩清絶」の後篇と續篇だが、少なくとも續篇は出ていたらしい。検索すると、京都大学附属図書館の谷村文庫というのにあるアーカイブが引っかかってきた。頁の画像も公開されているようなので、喜んで見ていくと、前と後ろのほ…

宋詩清絶

四天王寺の秋の古書市の目録で見つけて申し込んでおいた「宋詩清絶」が届いた。柏木如亭が編んだ宋詩のアンソロジー。虫食い本でずいぶん安かったが、届いたのを見るとだいぶ傷んでいるものの、そんなにひどくもない。稲野書店さんからは遠慮なく送り返して…

『死霊』

埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる(asahi.com) 『死霊』を読んだのは、もう30年も前。第5章が26年ぶりに発表されてしばらく経ってから。既出全章を一冊にしたあの真っ黒な講談社版でだったけれど(ちなみにこの本の見返しには黒地に薄く星雲が描かれて…

鉄斎・蓮月

新学社という学習教材の出版を専らとしている京都の出版社があって、近代浪漫派文庫という不思議なシリーズを出している。その第2巻の「富岡鉄斎/大田垣蓮月」は、手軽に入手できる、この縁深い画人と歌人のコンパクトな著作集だ。特に、杉本秀太郎の『大…

地方本

旅の楽しみは色々あれど、本好きにとっては、地元で書かれ出版された、その地方ならではの本に出会うことも、その一つだと思う。先日の小さな温泉旅行では、『僕らはまちなみたんてい団』という児童書みたいなタイトルの地元本を見つけた。宿のロビーに置い…

『青年の環』

丸谷才一トリオからあっさり切り捨てられていた野間宏の長大な小説『青年の環』。'83〜'84年に岩波文庫が、同文庫史上最大のボリュームを甘受して、5巻本を出したのは大英断だと思ったものだが、もちろんその後長く品切れ状態が続いていた。第1次戦後派へ…

『文学全集を立ちあげる』

面白いので半日で読んでしまった本。丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士という手練の本読みが(丸谷以外未読だが)、架空の文学全集を構想する。今や絶滅状態の文学全集という出版形態だが、その構成、つまり作家・作品の取捨選択には各時代の文学観が多少とも反映…

杉田淳『デモクラシーの論じ方』

民主主義の政治制度とその可能性について考えるためのたくさんのヒントを提供してくれる本。というか、考えることを促す問題提起満載の本。AB2人の対話から構成されていて、一人はおおむね現状肯定派、一人はその反対。2人の歯に衣着せぬ議論は対話編と…

大阪繁昌詩

最近少しずつ『大阪繁昌詩』下巻の入力をしている。巻の上を[書庫]にアップしたのは2002年だから、ずいぶん悠長な話だ。文久2年に19歳で夭折した田中金峰という青年儒者が16・7歳の頃に作ったという大阪の名所記で、名所ごとに七言の絶句を作り、文を付す…

詩聖堂詩集三編

葉っぱの栞?が 久しぶりのYahoo!オークションの戦利品、詩佛の「詩聖堂詩集三編」。上巻欠の端本2冊で1600円なり。虫食い穴がけっこうあるが印字にダメージは少なく、問題なく読める。一・二編は汲古書院の影印本のコピーがあるが、最後の第三編はなかった…

佐藤春夫集

川本三郎を読んだせいで、佐藤春夫をまとめて読みたくなる。こんな時に便利なのが、日本文学全集といった類の作家別選集。さっそく[日本の古本屋]で「佐藤春夫集」と検索してみると、あるある、主要な出版社がかつて出していた選集本がずらり引っかかって…

姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』

以前に読んだ姜尚中の『ナショナリズム』は、文章が一律に無表情で読みづらく、内容への共感の割には読後の印象が愉快ではなかったのに対して、これは文句なく面白い本だ。この人は学者としての作文よりも、ポピュラリティを意識した対話や討論を真骨頂とす…