吉田秀和のハスキル

 [Blue Sky Label]にクララ・ハスキルスカルラッティソナタ集がある。吉田秀和が『私の好きな曲』という本のなかで、スカルラッティの演奏として推しているものの一つ。曰く、

「私の愛するスカルラッティのもう一枚のレコードはクララ・ハスキルのそれだ。…ハスキルのは、抒情味のかったスカルラッティである。これが、ロマンティックにひかれたスカルラッティの、私にとって、ぎりぎりのところにある演奏である。…このレコードのききものは、タッチの変化の目ざましさであり、それから、生れる音色の変化と、リズムの良さである。…それともう一つ、ハスキルの演奏にいつも欠けたことのない親密さの感触。…それから、彼女の生き生きした生命を与えられたリズムを通してきくと、これらのソナタのいかに多くが、舞曲から生まれたものであるかを改めて知らされる。動きの音楽として、こんなに美しいものは、そうたくさんはない。」
 吉田秀和の文章は、凡百の評論家たちが量産しているような、単なる楽曲の解説や演奏の論評ではなく、鑑賞の文学と呼ぶべきものだから、その文章を一度読んでしまうと、彼が言及している曲は、それと切り離して聴くことができなくなる。できれば彼が感じたもの、見出した美を追体験しながら聴きたいと思っているのだけれど、それは簡単なことじゃない。土台、音楽に対する感覚の洗練や経験の豊かさが違うし、東西の芸術への知識も月とスッポン。ちっぽけな鑑賞能力でむりやり背伸びしたり、分かったふりをするつもりはないが、その音楽と文章の、また絵画と文章の、高度な響きあいのあり方にだけは、いつも憧れていたいと思っている。