泉 鏡花

 旧大屋町横行('06年2月)

「雪の越路は、村里も、町も、峰の如き雪に降埋めらるゝ時は、屋根に積つた雪を降す。大空が雲に閉ぢられて、其の白いものが、毎日々々、日とも言はず、夜とも言はず、ひた降に降りしきる間は、たゞ積るばかりであるから、豫て、此があるための冬構へとて、野末、山家の埴生の小屋とても、柱、礎を堅く巌乗に組むのであるから、上から押潰すほどの雪の重量が掛からうとも、敢へて地の底へもめり込まず、不思議に、ゆさりともせぬ。
 が、天に纍々として白壁の戸前を並べた、其の一藏の雪を、一棟此の越の一國に傾けて、降るだけ降ると、颯と晴れて、太陽が輝く、すぐに曇つて寒く成るまでも、一時は必ず日光の温き恵を、屋根に、軒に漲らす。其の日當りに、積もり重つたのが解けはじめる時が物凄い。
 東なり、南なり、少しでも融けて、屋根の一方が僅ばかりも輕く成ると、藁屋、板屋、瓦葺、立處に釣合を失ふや、白日、忽ち百雷を轟かして、偉なる熊に唯咬碎かれたやうに潰れるのである。」「伊達羽子板」
 鏡花が描く裏日本の大雪はもう昔語りかと思いきや、それがありのまま目の前に再現されたのが、去年の今頃の、越といわず奥といわず、近江湖北や但馬の山里の有り様だった。稀代の大雪は多くの記憶に残る悲喜を残して過ぎ、一転、この冬は拍子抜けするような寡雪。雪国の人々の安堵と裏腹に、山遊びの人たちの嘆きが、笹の出た尾根、藪の埋まらない谷、純一ならざる濁りがちの風景に向けられる。さても、この山国の四季の、年々歳々、ドラマチックに心を揺さぶることよ。