この世の楽園

『私が黒谷で会ったある老紳士は、私と同じようにこの美しい国にすっかり魅せられていたらしく、私にこう言った。「あなたはまだお若いから、こういう美しい場所にきて、私がどんなに喜びを感じるかお分かりにならないでしょう。あなたには若さも力もある。そして、若さが過去のものになり、力が失せてしまうときに備えて、記憶を蓄えるのにお忙しい。しかし、あなたが今ご覧になっているものの本当の魅力が分かるのは、その頃になってからです。私は年取っています。この国の平和と安らぎは、私が間もなく行く永遠の平和の世界の前触れとしか思えないのです。優雅で穏やかなこの国に来たことを、私はほんとうに嬉しく思います。こういう美しいものに囲まれて一生を終えることができれば、それ以上の幸福はありません」』
 ハーバート・G・ポンティング著、長岡祥三訳『英国人写真家の見た明治日本』の一文。百年ほど前の日本は、日清・日露の戦役を皮切りに世界史の泥沼に足を踏み込みつつあったとはいえ、なお訪れた外国人にこれほどの幸福感を与える国だったのだ。確かに京都東山の黒谷から会津墓地、真如堂あたりは、今もメインの観光ルートから離れて、当時とさほど変わらない静かなたたずまいを残している。それだけにこの小高い土地を下って幹線路に出た時の風景の変化と押し寄せる騒音の印象は、百年の時間の断層を一気に飛び越えたよう。この国に来るべき永遠の安らぎに似たものを感じた老外国人は、現在の京都を見て何と言うだろうか。