鏑木清方

『近年は世界中の調子が不順なせいか、俳諧の季題で味わっていたような季節感が、年ごとに薄れていくのは味気ない。もっともこれは動きやすいこっちの気持ちがそうさせるだけなのか、非情の草木に多少遅速はあるとしても己れの花の出番は忘れず、降ったり照ったりのつゆぞらの下で、何時もあるべき時に咲くものは咲いている。
 畳を踏む足の裏のじっとりねばるのはいい気持ではないが、この季節をうっとうしいといいながらも、立夏とともに着た単衣の上に一たんしまった袷羽織を重ねる時候違いの冷気をまた懐かしく思う季節の郷愁めいたものがある。
 立葵の花は入梅一ぱい裾から梢へと順々に咲き上ってゆく、梅の実の熟れて落ちるのもこのころなり、紫陽花の蹴鞠に似た大きい花の枝もたわわに、水浅黄、うす紫、しとどにぬれて七色に染める花の色はあやしく美しい。
 もうやがて梅雨も明けるのであろう。明けると一緒にカッと照ってくる梅雨晴の暑さ、それは着ものばかりか身体までかびたような気味わるさを一気に掃う快さと共に、この先三月も続く暑熱にはいる門出でもある。…』「つゆあけ」
 生まれも育ちも東京という生粋の都会人なのに、鏑木清方に季節の文章が多いのは、かつての東京暮らしの折々に自然とかかわりの深かった様子が偲ばれて、読むたびに懐かしく床しい思いにとらわれる。そのうえ、流麗な筆致で清方がしばしば回想する明治の東京の四季には、まだ江戸の文化と生活の名残がたゆたっているのが感じられて、その絵以上にその文章が自分を引きつけてやまない所以となっている。
 この「つゆあけ」と題するごく短い文章は昭和27年に書かれたもの。そのせいか、まるで最近の環境異変を思わせる不穏な出だしだが、その後はいつものさっぱりとあか抜けつつも単純ではない味わいのある筆に戻る。焼け出されて移り住んだ鎌倉の環境にも守られて、画家は戦後もなお多くの文章を書いた。それらが鏑木清方文集全8巻として我々に残されているのは幸せなことだと思う。