大野 晋

『娯楽は必要である。しかし軽佻と快笑とはちがう。だいたいラジオ、テレビ以前は娯楽は正月・藪入りなど限られた日に特別な場所で楽しむもので、連日連夜、浮薄な笑いにひたされることは、かつてなかった。これでよいのか。』「日本語の源流を求めて」
 言われてみれば確かにそうだなあ。テレビにしたって以前は、本当に羽目を外した笑いというのは、正月の特番ぐらいで、ふだんはもっと落ち着いた基調だったはず。馬鹿笑いは、三河萬歳のように正月だけに許されたもので、普段から笑いに耽るのは、だらしないことという意識がかつての日本人にはあったように思うのだ。テレビがのべつ幕なしに羽目を外すようになったのは、「ひょうきん族」辺りから? 今ではチャンネルを回せば、1年365日「浮薄な笑い」が垂れ流されている。かくして日本人から品性と高貴が失われ、その文化はひたすら軽く刹那的だ。