須賀敦子・千日前

『礼をいっておばさんと別れ、陽の落ちないうちにと西門を出て、地図にあったとおりの広い道路を渡って、一心寺に急いだ。ここも、堂宇はすべて閉まっていて、前を通った手洗所から浮浪者が出て来たりした。あわてて入口に戻ると、山門をくぐって、むかし祖母と来た方向と見当をつけた道に出たが、それは私が憶えていた、あの細い坂道ではなくて、交通量のはげしい、信号機のある往還だった。記憶違いというよりは、都市整備のせいらしかった。坂のはるか下のほうには、西方浄土とは似ても似つかない「新世界」の通天閣が、小さな棘のように見えた。』「地図のない道」
 月曜は久々に電車に乗って大阪に出て、以前勤めていた会社の同窓会。この年になると知り合いはみんなちょっとした挫折の経験を抱えていることが多い。幻滅や断念を通過した人の言葉は、磨かれた流木のようにささくれや棘を落として、心にしみじみ届く。なかにはなお前途に闘志満々の人もいるが、若い頃のように世間知らずからくる傍若無人さはないから、素直に受けとめ健闘を祈ることができる。自嘲の苦みを奥歯に噛みしめつつだけれどw。
 それにしても、久しぶりに歩いた千日前の様変わりには驚いた。千日デパート跡がひっそり残り、界隈に幽霊の噂があったのは勤め始めた頃だから、もう30年近く昔。その後ダイエー系のプランタンになり、まるで凶事の余波をこうむったように傾いたダイエーが手放して、今はビックカメラ。見るからに勢いにあふれたビルに、刑場だった江戸時代から続く負の都市伝説はもはや無縁そうだ。以前はひっそり薄暗くて、裏通りの雰囲気があった千日前商店街も見違えるほど賑やかになっている。会社帰りになんば花月前の映画館に入ったら、そこは男色者のたまり場で、あわてて逃げ出したというようなこともあったけど、そんな湿っぽい猥雑さももうこの街にはないんだろうなあ。
 往復の電車で読んだ須賀敦子の本に、珍しくイタリアではなく大阪の話があって、その日の気分とちょっと通じるものがあった。同窓会の会社にいた時代に詳しくなった大阪の寺町界隈の旧跡が、ミラノの街角やヴェネツィアの橋とともに、この人のなかに翳を落としていたことはうれしい発見だった。