鏡花・栃ノ木峠

『 蕭殺たる此の秋の風は、宵は一際鋭かつた。藍縞の袷を着て、黒の兵子帶を締めて、羽織も無い、澤の少いが痩せた身體を、背後から絞つて、長くもない額髪を冷く拂つた。……其の餘波が、カラ/\と乾びた木の葉を捲きながら、旅籠屋の框へ吹き込んで、大な爐に、一簇の黒雲の濃く舞下つたやうに漾ふ、松を燒く煙を弗と吹くと、煙は筵の上を階子段の下へ潜んで、向うに眞暗な納戸へ逃げて、而して爐べりに居る二人ばかりの人の顏が、はじめて眞赤に現れると一所に、自在に掛つた大鍋の底へ、ひら/\と炎が搦んで、眞白な湯氣のむく/\と立つのが見えた。
 其の湯氣の頼母しいほど、山氣は寒く薄い膚を透したのであつた。午下りに麓から攀上つた時は、其の癖汗ばんだくらゐだに……』「貴婦人」
 秋霖と呼ぶには既に秋も長けたが、今日のように雨がちの寂しい夜には、燈火の下、鏡花全集の幾ページかに、心を遊ばせたくなる。
 これもまた若き日の上京の折に越えた栃ノ木峠を舞台にした、しかし先の紀行「栃の實」とは違い純然たる小説。ただ、作家志望の青年が都の師を慕って郷里を離れ、国境の峠の茶屋に笈を降ろすという設定は、やはり鏡花の回想の色合いが濃い。物語は、峠で出会った長逗留の美女が、実は以前師のもとに居た鸚鵡の化身だったという、何とも荒唐無稽な筋に収斂するけれども、深山の宿の秋の宵を描く鏡花の筆は、不思議な展開を包み込んでひたすら哀れ深い。
 白山や越美国境の山には何度も登りながら、まだ越えたことのない栃ノ木峠だけれど、一度立ち寄ってみたいと思うのは、鏡花がその足で越え、筆で彩った場所だから。もっとも、今では峠付近にスキー場が3つもできて、鏡花が越えた頃の風情はもはや偲ぶべくもないだろうことは覚悟している。
『 名にし負ふ栃木峠よ! 麓から一日がかり、上るに從ひ、はじめは谷に其の梢、やがては崖に枝組違へ、次第に峠に近づくほど、左右から空を包むで、一時路は眞暗と成つた。……梢の風は、雨の如く下闇の草の徑を、清水が音を立てて蜘蛛手に走る。』