妻木晩田遺跡

 大山登山の帰りに淀江町日帰り温泉に寄ったら、すぐ近くに名前だけは聞いていた妻木晩田(むきばんだ)遺跡があったので立ち寄ってみた。
 資料館をのぞいて驚いた。日本海を望む標高100mほどのU字型の細長い丘陵の上全体が弥生時代の後半約300年間の遺跡で、国内最大級の規模だという。関西では弥生時代の大遺跡はさほど珍しくないが、ほとんどが平地の遺跡。丘陵の上にあるいわゆる高地性集落としては、破格の規模ではなかろうか。
 しかも丘陵の各所から墓域とか居住区とか性質の違う遺構が出、鏡を伴った大型建物だとか、リーダーの存在を思わせる遺構もあるという。これはもう一つの国なのだ。昔の考古学少年の血がにわかに騒いで、資料館を出て、史跡公園として整備された丘陵の上を歩いてみた。
 残念ながら、過剰整備というのか、芝生の広々した公園には、ぽつりぽつりと復元された遺構や建物があるばかりで、発掘時の写真が与える大遺跡のインパクトはどこにも残っていない。予算の問題もあるだろうが、覆屋を作って発掘状態を部分的にそのまま保存したりということができなかったんだろうか。この遺跡にとどまらず、一般に日本の遺跡公園は整備と復元に力を入れるあまり、発掘された現場そのものの持つ臨場感をスポイルしてしまっている例が多い。
 唯一、丘陵の突端に復元された、弓ヶ浜をバックにした高床倉庫の風景は、はるかな弥生の国のイメージを彷彿とさせるものだった。当時は丘陵の足元に日本海から砂州で隔てられた潟湖が広がり、農業漁業や交易の場になっていたらしい。それにしても、水田からも港からも不便なこんな丘の上に、なぜ人々は長く暮らさなければならなかったのだろう。

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