近つ飛鳥博物館


 面白そうな企画展をやっていたので河南町の近つ飛鳥博物館に立ち寄ってみた。何をイメージしたのだか、角度によってはチェルノブイリの“石棺”を連想させる建物は、例の建築家の常で、入口も動線も分かりづらい。周辺の雑木林には、この辺りではほとんど散ってしまった黄葉がまだよく残っていてきれいだった。
 常設の展示はすっ飛ばして、「河内平野の集落と古墳−謎の4世紀を探る−」と題された企画展を見る。弥生時代の終りから巨大古墳郡が出現する前までのあまり知られていない河内平野の様子に焦点を当てた展示。河内平野は道路工事などで徹底的に掘り返された土地だから、ほとんどの遺跡が検出されて、地域全体の考古学的な復元が可能になっているようだ。遺跡やその周辺の群集墳の移り変わりを通して、この地域の社会の変化を何となくイメージできるようになっている。
 図録を買って帰って読んでみると、ここの館長さんは強力な邪馬台国畿内説論者のようで、卑弥呼=箸墓=ヤマト王権説がほとんど既定事実のように書かれている。河内平野自体はヤマト王権の本拠地から一山隔たった地域で、地域の首長が統べていたようだが、ヤマト王権とはどんな関係にあったのか、その辺はよく分らないらしく、明確には説かれていない。出土資料がたくさんあっても、生臭い権力関係まで復元しきれないところが考古学の限界だろうか。

河内弘川寺の散り紅葉