乗鞍岳


 土日はK氏を誘って乗鞍遠征。去年4月に山スキーで訪れて、へっぴり腰スキーでボロボロになりつつも、大雪原のスケールが印象に残った位ヶ原にテントを張って、日本離れした風景を楽しむことにする。
 この時期はすでに閉鎖したスキー場上部の三本滝まで車で入れ、位ヶ原下の位ヶ原山荘までバスが通じている。朝から長駆乗鞍山麓に馳せつけ、山スキーヤーと観光客まじりの2時のバスでまだ雪深い山中に入る。
 位ヶ原山荘の先から大きな谷を登って位ヶ原に登り上げる。好天の午後の雪はよく緩んで、谷斜面を重荷をかつぎスノーシューでトラバースするのに一苦労。一時間ほどでだだっ広い位ヶ原に入る。意外に冷たい風があって、どこにテントを張ろうかしばらく迷い、雪原に盤踞しているダケカンバの古木の蔭にザックを降ろす。もちろん葉はまだなく風除けにはならないが、貫禄のある太い幹に寄り添えば何となく心強い。枝にものを掛けておける便利さもある。
 少し上で遊んでいた山スキーのグループが山荘へ下ると、広大な位ヶ原には我々のテントだけになる。夕方になってますます風が強まるが、テントにもぐり込めば温かさが戻る。松本で買ってきたおやきなどを食べて腹がくちくなると、朝から走ってきた疲れでいつのまにか眠り込んでいた。

 夜半、目を覚ましてテントから顔を出すと満天の星。三脚にカメラをセットして外に出て夜景撮影を試みるが、寒風の中、貧弱な三脚とD40では力不足のよう。あきらめてテントに戻り、風の音を聞きつつまた嚢中の人となった。
 翌朝も雲は少ないが風が強い。アラームで4時半に起きてテントの入口の正面に登る日の出を撮影してからまたひと寝。穂高連峰が朝焼けにくっきりと浮かび上がり、振り向くと真っ白な剣ヶ峰が薄く染まる至純の風景が早起きの収穫。7時過ぎ、テントを出てウロウロしていると、もう近くを通過していく山スキーヤーがいる。スキー靴をつけたままの重そうな板をかついで歩いていく。続いて位ヶ原山荘方面からも登山者が一人。遠くなったその姿を追って、8時過ぎ最高峰の剣ヶ峰へ向けてテントを離れる。朝の雪面は硬く、アイゼンで確実に行く。

 先行者は肩の小屋まで行かず朝日岳へ直接向っているので、こちらもそれに習う。高度を上げるとますます風が強く、時折耐風姿勢がいるほど吹きつける。雪面もますます硬く、場所によっては青氷になっている。朝日岳のコルへのトラバース気味の登りは、昨日の足跡があるので足元に不安はないが、突風に飛ばされたらこの雪面ではしばらく止まらないだろう。表面積の大きなK氏は大丈夫だろうかと、50mほど後ろの姿を振り返ったのと、氏が斜面を滑り出したのとが同時だった。アレアレと驚いていると、途中でくるりと頭が先になったりしながら滑っていく。ようやく止まってすぐに立ち上がり、何かを拾いに行っているのを見て安心したが、念のためにコルで待って合流。
 聞くと、風で飛ばされたわけではなく、写真を撮ろうと外した手袋がさらわれたので、それを追って斜面に飛び込んだのだという。尻セード好きの氏らしいが、ちょっと氷結斜面の怖さを甘く見たようだ。見ると手に大きな切り傷を作っている。岩のない真っ白な斜面だったから、氷の突起にやられたのだろう。頭をやられたりしたら大ごとだった。
 応急処置をして山頂へ向う。気がつくと、見下ろす位ヶ原には点々と登山者が続いている。先頭は朝日岳斜面に達している。ほとんどが山スキーヤーのようだ。コルから剣ヶ峰までは権現池火口の縁をたどり、右手には大きな火口底が見下ろせる。そして左手の位ヶ原に落ちる急斜面には昨日のシュプールがたくさん残っている。ここからの滑降をめざして山スキーヤーは登ってくるのだろう。

 山頂手前で下ってきた先行の登山者とすれ違い、強風の注意を受ける。颯爽と姿の決まった女性登山者で、間に合わせスタイルのヨレヨレ中年コンビとは大違いである。10時過ぎ山頂。祠の前に立つと、裾を長く引いた真っ白な御嶽が目に飛び込んでくる。眼下には広々した頂上をもった高天ヶ原も見下ろせる。位ヶ原からあの辺りに遊んでも面白そうだ。先行の山スキーヤーがまだ硬い雪をガリガリ言わせながら下りていくのを見送る。先程の斜面に飛び込んでいる。祠の蔭で風を避けてしばし休憩。思えば一昨年秋の仙丈ヶ岳以来の3000m峰だが、こう風が強く、雪が硬くてはあの時のようにのんびり一時間も憩う余裕はない。

 下り始めると、火口縁で後続の山スキーヤーと次々にすれ違う。コルから下にも続々とやってくるが、右手の急な谷斜面を直接登ってくる人もいる。硬い雪にアイゼンの前爪だけを突きたてて、ほとんど宙に浮くように登っている。いやはや、山スキーヤーの大胆さは登山者のなかでも別格だわ。我々は肩の小屋回りで、緩み始めた雪を踏んでトボトボとテントへ下る。見上げる朝日岳・摩利支天岳・富士見岳の斜面にはたくさんの山スキーヤーが取りついている。まるで砂糖の山に群がる蟻だ。そろそろ滑降を始めている蟻もいる。それをじっくり見ていたいようないたくないような。気分はアンビバレンツである。
 下山はツアーコースを重荷を負いスノーシューでズリズリ歩いて直接三本滝駐車場へ。横をスキーヤーがかっ飛ばして行くのを見送りつつ、昨年は雪面の荒れたこのコースで七転八倒したことを思い出す。スキーほど上手い下手で差が出る移動手段はなさそうだ。スキー場への最後の急斜面を女性スキーヤーがあっさりこなしていくのに溜息。最後は雪の消えたゲレンデをフキノトウを蹴飛ばしつつ下り、2時、車に帰着した。乗鞍温泉の白濁した硫黄泉で汗を洗い、K氏の傷を養生する。
乗鞍岳山行アルバム

基地問題

 今日の天声人語がいいことを書いてる。

『そもそも沖縄で安保を説く前に、この島の重荷を米国に説くのが先ではないか。…ゆめゆめ米国の代理人として、あてもなく南の島を訪ね歩くことなかれ。』
 全く以て、鳩山さんがやるべきは、オバマに沖縄の地図を示して、日本国沖縄島をおおっているこのとんでもない面積の米軍基地を何とかしてくれと直談判することじゃなかったろうか。
 他国の基地なんて、この狭い島国のどこでも住人が黙って受け入れるはずがないんだから、沖縄の負担軽減を言うなら、めざすべきは移設じゃなくて縮小。冷戦がとっくに終わって、オバマ軍縮に熱心なのだから、今こそ堂々と主張できたはずなのだ。
 それに、東アジア共同体というなら、超大国の軍事拠点としての役割を返上しなければ、そんなことは訴えようがないはず。自分に向けた鉄砲に肩を貸している人間と、誰が握手しようと思うだろう。
 自国内に他国の基地が幾つもあり、それに口出しができないというのは、つまり軍事的にはまだ敗戦後の占領状態が続いている軍事属国だということに他ならない。それを変えるつもりがなければ、基地問題に手を出しても八方塞がりになるのは最初から目に見えていたんじゃなかろうか。鳩山政権にはそんなことさえ見えてなかったんだろうか。
 新政権に国際問題で何かを期待するのは無理なようだ。せめて国内問題だけでも自民と違うところをもっと見せてもらいたい。

感想二つ

其の壱
 各局のニュースで上海万博の話題が喧しい。見ていて連想するのはやはり大阪万博のことだ。40年前とは展示を見せる技術は段違いだろうが、パビリオンの外観の奇妙奇天烈さは昔見た夢だなあ。40年経っても人間の未来のイメージはあまり変わってないようだ。
 当時の日本がそうだったように、イケイケドンドンの国は勢い余って未来の夢を盛大に花火みたいに打ち上げ始めるもののようだ。そして何十年かの経済発展の後に、万博は真夏の世の夢として懐かしく振り返られるだろう。すなわち万博には、国民の意識に将来への漠然たる希望を与えるという以外に大した意味はない。
 つまり万博は純然たる国内向けイベントで、発展段階?の違う他国民にとっては面白いものでも興味を引くものでもない。なのにニュースではわざわざ見物に出かける物好きな日本人も多そうだし、報道でこれだけ取り上げている国もたぶん日本だけだろう。これってもしかしたら、重要な文化はすべて大陸からやってきた、かつての中華文明との関係の復活の始まり?
其の弍
 長谷川敗る。久々に多くの名チャンピオンを輩出したかつてのボクシング全盛期を思い出させる緊迫した試合だったな。確かに一発の怖さを秘めた挑戦者で、そのハンマーパンチをかいくぐってテクニックに勝る長谷川がどう料理していくか、たっぷり楽しめそうな試合展開だったのだが、ラッキーパンチとは言わないものの、出会い頭の一発に沈んでしまった。
 WBCにはもう強い挑戦者はいないと、マイナーな組織のWBOチャンピオンとの何の得にもならない試合を選んだ長谷川のアグレッシブさは称賛されるべきだが、勝てばメジャータイトルが手に入る相手とは土台モチベーションが違ったのではないだろうか。強い相手と白刃を渡るスリリングな戦いを楽しみたいという天才の余裕が仇になったようだ。
 そういえば昔、柴田国明というすばらしいチャンピオンがいて、勝つときはほとんど芸術的な試合でボクシングファンを満足させてくれたものだが、負けるときは今日のようにワンパンチで陥落することが多く、その打たれ弱さがこの人の試合にさらに生彩を添えていたものだ。父親がボクシングファンだったせいで、小さい頃からタイトルマッチとなるとテレビにかじりつきで、今では伝説となった数々の名イベントをしっかり目に焼き付けることができたのは幸せだった。

アメリカ映画ベスト100

 BS2でやっていた標記の番組を面白く見る。アメリカ映画協会が2007年に選んだ2度目のリストをCBSテレビが番組化したもの。もちろん再放送だろうが、見るのは初めて。
 選ばれた映画のさわりの取り出し方と次の映画とのつなぎ方が気が効いている。100本のどこを取っても有名な映画ばかりで、アメリカ映画の無尽蔵さを思い知らされる。逆に言うとどこを取ってもポピュラーな映画しかなく、アメリカ映画の限界も感じさせる。
 ベストワンは前回と同じく「市民ケーン」。正直言って映画そのものの面白さでは、今一つピンとこない選択だ。たぶん映画史に与えた衝撃、手法の革新性という点では類ない映画なのだろう。そういう意味ではこのベスト100の選択基準はオーソドックスでアカデミックだ。一番新しい映画は2001年の「ロード・オブ・ザ・リング」で、最近の映画は選ばれていない。
 日本で同じようなことをやれば、きっと半分ぐらいは印象の新鮮な直近の映画が選ばれるだろう。加藤周一が指摘したように日本人の関心は今・此処にべったり張りついている。いくら印象が強くても、新しい映画にはある程度時間のハードルを越えた後でなければ古典としての資格を与えない、アメリカ人の姿勢はさすがだ。
 私的ベストリストをひそかに考えてみる。そんなに見ているわけではないので、客観的に妥当性のある選択はとても無理だが、DVDやハードディスクに取り込むなどしていつでも手許に置いておきたい映画はと考えれば、やはりヨーロッパと日本が中心。アメリカ映画は「八月の鯨」ぐらいだろうか。

砂利道掃除


 作って7年めの砂利道が最近ずいぶん荒れてきた。雑草がはびこらないようにと敷いた砂利なのに、春になると雑草におおわれてくる。少し砂利をかき回してみると石の間に詰まった土が出てくるから、これでは雑草が生えて当然。道の両側は枕木や余りものの階段石の堤防で、砂利の下には防草シートを敷いているから、本来は土から隔てられているのだが、7年の間にずいぶん入り込んでしまったようだ。
 こうなると砂利は掃除が面倒で、しばらく見て見ぬふりを決め込んでいたのだが、ようやく重い腰を上げた。端から砂利を掘り起こしていったんスコップで取り除ける。篩でふるって土を落とし、山にして積んでおく。数mの道から一輪車一杯の土がとれた。いやはやの一日仕事である。一山の砂利は後日水で洗って戻すことにする。
 花壇に道をつける時、砂利敷きを選んだのは写真集などで見たイングリッシュガーデンにあこがれていたから。出来上がったのは似ても似つかないものだったが、その頃は日本庭園用の玉砂利はあっても洋風の砂利は少なく、ホームセンターのネットショッピングでコッツウォルドストーンならぬチャイナストーンの、それでも何となく蜂蜜色風なのをやっと見つけて、何十袋か買って入れたのでそれなりに苦心の作事だ。今や蜂蜜色もすっかり褪せてしまった一山の砂利にはまだ働いてもらわねば。

エイヤフィヤトラヨークトル火山

 ニュースではアイスランドの火山噴火とばかりで、火山の名前が聞かれないと思ったら、こんなアナウンサーも真っ青のとんでもない名前だったのね。スペルはEyjafjallajokull。t がないようだが、アイスランド語の表記?
 ちょうど10年前の有珠山噴火以来、こんな時は情報源として頼りにしている「ある火山学者のひとりごと」にはそろそろさまざまな情報がアップされ始めていて、毎日のぞきに行かずにはいられない。今日紹介されていたこのページの写真群などはまさに保存版だろう。
 緯度の高いアイスランドの火山は氷河におおわれているから、噴火が起こると自然界の一番冷たいものと熱いものが直接接触する驚天動地の事態となる。氷河の融けた水が噴火口に流れ込み、マグマ水蒸気爆発という大爆発を起こすらしい。水が灼熱のマグマに触れて一気に気化し爆発的に膨張して、マグマそのものも木っ端みじんに吹き飛ばしてしまうという。そして、火口から噴煙が高く噴き上がり、火山灰を広くまき散らす。氷島大変、欧州迷惑というわけだ。
 それでも火山噴火は偉大な自然現象だ。壮大で苛烈で想像を絶して美しくもある。先のページを見ていると、たくさんの人の迷惑にもかかわらず、そんな感想が浮かんできてしまうのは自分ばかりではなかろう。