曝書

『およそこの百年のあいだに国の内外で洋紙に印刷出版された書物は、日光に当たれば当たるほど、黄ばんで破れやすくなり、表紙も褪色し脆くなる。土用干しは何の利にもつながらない。しかし、もう少し古い書物には曝書という付き合い方が必要になる。』
 少し前に読んだ杉本秀太郎の『京都夢幻記』に、本の虫干しについて書いた一章があったのを思い出して、朝から蒼天が輝き、射るような光線が容赦なく降り注ぐ午後、ウッドデッキに茣蓙を敷いて、わずかな手持ちの和本を開いて並べる。「十勝日誌」というお菓子の詰め合わせの箱が和本の形なのを喜んで、帙代わりにしていたの開けると、角や縁をざっくりと抉られたのが2冊。田中華城先生の「大阪繁昌詩後編」は、確か無傷のものを手に入れたはず。そんな馬鹿なと一緒に入れていたタンスの防虫剤を見ると、期限が切れてる。やられた、紙魚。和本は箱と薬よりも、風通しのいい棚に平積みしていた方がよかったかもしれない。長らく恙なくいて、21世紀になって大ダメージを負わせてしまった気の毒な本も一緒に並べて、3時頃まで光と風に曝す。取り入れた時には、みんなよく干した布団みたいにふっくら膨らみ、心なしか軽くなっていた。
読めぬ書を風に繰らせて昼寝かな
やられた…