ハニーサックル


 ラティスに絡ませたハニーサックルのテルマニアーナがオレンジの花を揺らしている。満開のと言いたいけれど、運悪く先日の大荒れの天気にずいぶん花を落としてしまい、写真を残すには少々寂しい状態だが、本当に満開の時はうるさいほどになるので、かえってこの程度が適当かもしれない。
 高さ180cmのフェンスを楽々越えて、さらに伸び上がってわさわさ繁っている何とも旺盛な種類だ。このままでは上の柿の枝に絡んでさらに伸び、下の方は手薄になりそうなのでどうしたものかと思うが、遠慮なく刈り込んでしまってもまた幾らでも芽を吹いてくるらしい。確かに株元を見ると立派な木で、木本とはいうものの雑草めいた日本の忍冬とはちょっとものが違うようだ。頼りないラティスよりも英国庭園の煉瓦塀に這わせたらふさわしい植物かもしれない。

日韓APS-Cミラーレス機対決

 獲らぬ狸のデジカメ談義。
 最近出現したデジカメの新しい動きに、APS-Cレンズ交換式ミラーレス機というのがある。一眼レフのレフレックスとは反射板のことで、レンズに入る光を鏡で反射してファインダーに導く仕組みをもつカメラが一眼レフだ。そして、この反射板を使わないのがミラーレス機。反射板はスペースを取るから、もともとコンパクトデジカメはミラーレスなのだが、レンズが交換できる本格カメラにもミラーレスシステムを導入して、ボディサイズをよりコンパクトにしようという動きが、近年いくつかのメーカーで見られるようになった。
 その先鞭をつけたのがオリンパスパナソニックが策定したマイクロフォーサーズ・システム。4/3型のイメージセンサーを搭載したフォーサーズ・システムをミラーレス化したもので、2008年以降、パナソニックオリンパスからレンズ交換式ミラーレス機が矢継ぎ早に発売されてきた。そして、このマイクロフォーサーズ陣営に対抗する動きとして今年になって登場したのが、APS-Cレンズ交換式ミラーレス機だ。
 何が違うかというと、イメージセンサーのサイズが違う。4/3型のイメージセンサーを搭載したマイクロフォーサーズに対し、より大きなAPS-C、つまり従来の一眼レフと同じサイズのセンサーを搭載したミラーレス機というわけだ。
 今年初めにサムスンからこのシステムの第一号機NX10が発売され、日本メーカーに小さからぬ衝撃を与えた(と思う)のだが、それに続く製品として最近になってソニーからNEX-5とNEX-3が発表された。
 さて、このNEX-5の実写画像が、いつも頼りにしているデジカメリファレンスサイトDigital Camera Resource Pageにいち早く掲載された。しかも心待ちにしていたサムスンNX10の実写と同時にである。そのうえ両者は明らかに同じ時に撮影されたもので、画像を同条件で比較できるありがたい計らいだ。さっそくしげしげと見比べてみる。
Samsung NX10 Photo Gallery
Sony Alpha NEX-5 Photo Gallery
 どちらもよく似た色の傾向で、明るく軽快な絵作りだ。写り自体は、ソニーの方が少しいい。どちらも家電メーカーだが、さすがに光学系はミノルタカメラをそっくり引き継いだだけあって、ポッと出のサムスンに遅れを取るわけにはいかないところだろう。けどその差は大きくない。どちらもこのコンパクトさで一眼レフに迫る画質を実現した驚くべきカメラだと思う。
 サムスンはオーソドックスな一眼レフスタイルで電子ファインダーが使えるのが魅力だ。韓国メーカーがここまでしっかりしたカメラを出してくると、日本メーカーにとってもはや脅威かもしれない。
 ソニーはファインダーを諦めた分さらにコンパクトで、ズームレンズを装着すると、レンズにコンパクトデジカメがくっついたような姿になる。大げさに言うと、万事が電子化する時代にも、ガラスの集合体という堅固な物理的実体であり続けるカメラレンズというモノの存在感を際立たせるようなスタイルだ。専用レンズのソリッドなデザインが一層そんな印象を与える。
 個人的にはNEX-5はちょっと琴線に触れるカメラだ。デザインやキレのいい画質もさることながら、液晶モニターが可動式で、腰の辺りにしっかり構えて、二眼レフのように上から覗き込みながら撮れそうなのにも引かれる。コンパクトデジカメやファインダーのないマイクロフォーサーズ機を顔の前方に不安定に構えて撮るのにはどうしてもなじめない。NEX-5は一眼レフとは違った新しい撮影のスタイルを教えてくれるかもしれない。発売されたら店頭で実機を触って、その辺りを確認してみたい。欲しいかどうかはその後の話。

駒ノ尾山スズノコ狩り

 土曜は嫁さんを連れて今が旬のネマガリダケの竹の子狩りに。氷ノ山はライバルが多いし、奥津の自然公園は天気が下り坂の日には少し遠い。久々に粟倉の駒ノ尾山に行ってみることにする。
 中国道佐用インターから下道のつもりだったが、いつの間にか鳥取道というのが出来ていて、開通している大原までそのまま走れる。この道路、新直轄方式とかで全線無料のよう。粟倉の辺りを除いてほとんど開通しているようで、鳥取へは山崎から戸倉トンネル越えで行くより、こっちの方が早そうだ。
 粟倉から国道を右折して登山口への林道に入ると、去年の豪雨の時の被害だろうか、改修工事をやっている。幸い土曜は休みなので、フェンスを動かして押し通ってしまう。登山ではよくあるケースだ。
 登山口には立派なトイレがある。道も遊歩道と呼びたいほどに整備されているし、途中には休憩舎や展望櫓もある。足弱の嫁さんに最適のコースだ。その分、登山の雰囲気は薄くなって、昔、子どもたちも連れてきた時にはかなりの登山者を見たものだが、今日は林道の工事のせいもあるのだろうが、歩き初めに数人の高年グループ、中ほどで単独一人とすれ違っただけ。出発が遅くなったこともあって、その先は貸し切りの山だった。
 標高が1200m近くになるとネマガリダケが現われ、目は道の両側の藪に引き寄せられる。ふだんは視界がなく鬱陶しい笹藪の切り開きの道も、この季節は楽しい宝探しの道だ。目が慣れてくると、あるある、けっこう道から目につくところにスズノコが出ている。たくさんの人が竹の子狩りに訪れる氷ノ山ではこんなことはありえないのだが、ここではほとんど取り放題だ。
 軍手をはめて藪に突入して、次々に竹の子を折り取っていく。折りながらまた次のを見つけるという具合で、びっしり密生した藪にどんどん入り込んでしまう。準備が悪くて、タオルを巻かなかった首筋からゴミが入るし、スパッツを忘れたズボンの裾から虫が入ったか足が痒い。それでも夢中になって竹の子ハンティングを続ける。
 少し登っては藪で一稼ぎを繰り返して、遅々として道は捗らないが収穫は順調に増える。小一時間でレジ袋二つが竹の子で一杯になった。けど藪との格闘は登山以上に疲れるし、雲が厚くなり風も出てきたので、適当に切り上げて先に行っていた嫁さんと山頂で合流。少し下った避難小屋で遅い昼食をとる。この避難小屋はよく利用されているらしく色々デポされているし、薪の準備もある。真冬の大寒波の時などに一泊すれば面白かろう。
 竹の子でずっしり重くなったザックをかついで下山。きりがないのでもうやめておこうと思いつつ、下りも獲物が目につき、藪に頭を突っこみつつ下る。下りてきて、登山口に熊避け鈴の貸し出し箱が設置されていたのに気づく。知らぬが仏、そんなにクマの多い山だったとは。
 帰路は林道を大茅スキー場方面に抜けて、粟倉の黄金泉で汚れを落とす。以前はよく賑わっていた記憶があるのだが、この日はなぜか人が少なく、ゆっくり長湯ができた。

江戸の落書き

 石山寺の本堂を見物していて、扉や壁にたくさんの落書きがあるのに気づいた。修学旅行生の引っかき傷ならば眉をひそめなければならないところだが、そうではなく溝がすっかり丸くなったずいぶん古そうな署名だ。明らかに江戸時代と覚しいものもある。たとえばこれなどは、

「関東下野もてぎ すか又八なつ まん文七」と読めそうだ。一部自信はないが、「もてぎ」が栃木の茂木なら菅又という地名は今もある。ずいぶん田舎からやってきたお上りさん夫婦が落書きというか、記念の署名を残したもののように見える。
 三井寺の金堂にもあった。

 こちらは「武州江戸子松町」とだけ読めるが、これも古いものだろう。
 これらの堂々たる署名を見ると、当時は古い寺の壁に名前を残すのは特に悪いことではなかったようだ。あるいは関東のお上りさんだけの悪癖だったかもしれないが、それを咎め立てする坊さんもいなかったということだろう。文化財保護などという観念のないおおらかな時代の、旅人の息づかいが感じられる、今となってはこれもまた貴重な形見だ。
 ついでに手許にある江戸の紀行類をひっくり返して、当時の三井・石山詣での様子を探してみた。ところが、膝栗毛の弥次喜多は伊勢から奈良を通って京に入っているし、「羇旅漫録」を残した曲亭馬琴は、江州の大洪水に遭遇して寺詣でをしている場合ではなく、大急ぎで京に逃げ込んでいる。意外に二山の参拝記は少ない。
 唯一あったのが、幕末の志士、清河八郎の「西遊草」。安政2年(1855年)の3月から9月にかけて、清河は郷里の出羽から母を連れて、三都のみならず中国・四国にも及ぶ大旅行をする。その途次、二山にも詣でている。
 まず三井寺に登って見晴らしを楽しみ、大津から湖に浮かび、湖水に映える膳所城を眺め、瀬田の唐橋をくぐって、石山の下に舟をつけている。見物の後は茶店の楼上に登り、酒杯を傾け、鮒・鰻を食らい、「しばらく楼上にかりねをいたし、あつさをしのぎ、七つ頃に目をさまし、楼上をくだりて川端を歩む」という悠然たる有り様だ。
 今や至るところに車が疾駆する狂奔の巷と化したかつての水郷をもはや嘆くまい。ただ江戸の落書きを残す二寺がなお幽邃境の面影を保持するのを喜ぼう、と思うも、こういうものを読むと、心は過ぎ去った時代に憧れ出る。

大津散歩

 行楽日和の日曜は、そういえばまだ行ったことがなかったなと、近江の二古刹を訪ねることにする。
 京都に向う渋滞を京滋バイパスで避けて石山で下りると、幻住庵の案内が目に入り、思わずそちらへハンドルを切る。道しるべに従っていくと、住宅地の外れの駐車場に入り、少し歩いて幻住庵の古い石標のある神社の参道にかかる。音羽山から伸びる尾根の中腹に近津尾神社という小さな神社があり、山道を幾曲がりかしていかにも古そうな柱材を残した山門をくぐる。幻住庵は境内の一角にあった。
 小さな茅葺きの門の向こうに、意外に新しい建物が建っている。地元のボランティアらしいお守りの人に尋ねると、例のふるさと創生資金を使って建てられたのだそう。もちろん当時のものが残っていることは期待していなかったけれど、こんなに立派な建物なら礎石だけ残っていたほうが床しかったかも。縁側に立つと、登りで汗をかいた体によく通る風が気持ちいいが、木がうっそうとして眺望はあまりない。わずかに木の間から見えた遠景を問うと、近江富士の三上山が見えるという。幻住庵の記にも「三上山は士峰の俤に通ひて」とある。
 庵を辞して来た道を戻り、瀬田川沿いに北上して当初の目的地、石山寺へ。国道沿いの駐車場に入り、賑わう参道を進む。境内ははや躑躅も終り、新緑がまぶしい。本堂への石段を登っていくと、正面にミニチュア山水のような岩の重なりが現われ、その上に多宝塔が聳えている。この岩は珪灰石という珍しい鉱物のようだが、そんなことは知らなくても昔の人はみごとな岩の造形に感じて寺を造り、建物と自然とが融合した素晴らしい空間を作り出した。
 本堂には紫式部源氏物語の着想を得たという小部屋が設えられ、人形が置かれている。ほとんど伝説だろうが、平安時代には女御更衣が好んで石山詣でをしたようだ。息の詰まる宮中にいれば、たまには都を離れてこういう天然の景観に恵まれた寺に滞在したくもなったことだろう。
 石山寺は最近花の寺として整備を熱心に進めているようで、さらに登ると梅園や牡丹園、菖蒲園が設けられているが、菖蒲以外はもう花は終わっている。よく歩いて一汗かいて山を下りた。
 さらに瀬田川に沿って下り、湖岸公園にあるドイツレストランで遅い昼食をとった後は、大津市街を抜けて三井寺へ。その前に隣の歴史博物館をのぞいてみる。コンパクトに大津の歴史がまとめられていて、近江八景ジオラマが目を引く。瀬田・矢橋・膳所・唐崎・堅田…、かつての大津は、風光に恵まれた先人の足跡豊富な名所がめじろ押しで、文人墨客を引きつけて止まない土地だったことがよく分かる。博物館の2階にはガラス張りの展望スペースがあって、湖国のパノラマが一望に見渡せる。
 そのまま歩いて三井寺に詣でる。長等山の斜面に堂々たる堂宇が建ち並ぶ、京都の寺々に引けをとらない大寺だ。金堂は中央部が分厚い扉の向こうに閉ざされ、本尊を拝むことができないのが一種異様。写真も存在しないというから秘仏の最たるものだろう。こちらも歩きでのある境内を一周して、最後に南端の観音堂から湖の眺めを楽しんでから市街に下った。 

門の奥に平成幻住庵

近津尾神社境内の句碑(梅室筆・天保十四年)

天然記念物の珪灰石の谷と石山寺の多宝塔

新緑の石山寺本堂

三井寺も新緑

眺めのいい三井寺観音堂

カメラ座布団


 山に一眼レフカメラを伴う時は、いつも裸で肩に掛けて歩いている。ストラップをザックの胸ベルトの下に通しておけば落ちる心配はないから、切り立った岩を攀じったりする時以外は、ずっとこの状態で歩いている。いいシーンがあればカメラを手に取ってすぐに写せるので、これが一番便利な携帯法だ。
 ただ、休憩を取るときはそのまま地面に置くしかないのがちょっとつらい。手頃な枝があれば掛けておけばいいのだが、たいていは苔や岩や落葉、そして冬は雪の上が置き場所になる。精密機械にはちょっと申し訳ない扱いだ。
 常々そう感じていたところに、過日デジカメWatchで面白いものが紹介されていた。ハクバ「カメラ ざ・ぶとん」。見た目も機能もそのまんま、カメラのおざぶである。冗談のような商品だが、山ではけっこう使えそうだとピンときた。取り出しやすいザックの脇ポケットなどに突っこんでおいて、カメラを降ろす前に座を整えてやれば、機械にも優しいし、ほんわかした情景が自他ともになごむだろう。
 嫁さんに頼めばすぐに作ってくれそうだが、詰め物や布に一工夫あるようなので、楽天のポイントで入手。まだ試してはいないが、山で実地使用したら使い勝手を報告、するほどのことでもないな。

五月の庭

 咲き揃い始めた花とともにきれいになった砂利道を記念撮影。
 背の高いのがシャクヤクジャーマンアイリス、低いのがラベンダーとゲラニウム・マクロリズム。奥にナニワイバラの生垣。これから7月にかけてがこの庭の短い盛期だ。まだ種類が少ないが、これから色々咲くのが楽しみ。