鳳凰三山

 北アから南アに向けて移動しつつ、日曜の天気をチェックすると、あれれ、山梨県は曇り。そのまま帰ることも考えかけたが、昼過ぎまでは晴れ間もという気を持たせる予報。それならばと望みを託して計画続行。韮崎インターで下りて、釜無川を渡り林道で山中に分け入って青木鉱泉の登山口へ。登山者用の有料駐車場があり、すでに車が多い。車中でちびちびやりながらと、酒も本も持ってきたが疲れてすぐに寝てしまう。
 翌日は燕より1時間早く6時出発。旅館の前を通るときっちり駐車料を徴収される。ドンドコ沢に沿ってひたすら登るが、沢は次第に深く険しくなり、幾つかの滝をかけるようになる。それを望みながらの登山道も急登の度を増す。ところどころに細流がかかり、汗を拭き渇を癒せるのが救い。
 一番立派な最上流の五色ノ滝を過ぎると、傾斜は次第に緩み、源流部が広々した谷間になった北御室小屋跡に出る。伏流した水がここで湧き出しきれいな水場になっている。御室というのは室堂と同じで、地蔵・観音・薬師の3峰をはさんで南北の御室があって、かつて信仰登山の宿泊地となっていたのだろう。南御室小屋は今も健在だが、北はきれいな谷間に古い木材が散らばるばかり。
 沢沿いの紅葉を楽しみつつさらに登るとようやく鳳凰小屋。ここまで4時間半かかった。急登の連続に昨日の疲れもあって、相当足に来ている。水を汲み直して地蔵岳へ登り詰めるが、この最後の1時間がきつかった。傾斜を増しながら、かつては地蔵仏と呼ばれたらしい花崗岩の尖塔、地蔵のオベリスクの足もとまで続くコースは不安定な砂の道。数十歩登っては息絶え絶えに立ち止まることを繰り返し、ようやくお地蔵様のたたずむオベリスクの基部にたどり着いた。
 辺りは残念ながらガスのただなか。すぐそこにそびえるオベリスクさえ見え隠れする。岩塔に攀じってみる気にもなれない。岩蔭の砂に腰を下ろして昼食。薬師岳小屋からの往復らしい男女が通った以外、だれもやってこない。残りのコースに備えてしっかり補給した後、岩にもたれているといつの間にかウトウトしてくる。気がつけば1時間以上経っている。いかんいかん、賽の河原の鬼に引かれるところだった。お地蔵さんに挨拶してから、残り二山の縦走に向う。
 赤抜沢ノ頭を越えて観音岳薬師岳と続く稜線のコースはすべて花崗岩地帯。稜線の左手はずっと林だが、右手は花崗岩の針峰の林立する斜面や岩と砂の滑らかなスロープになっている。そこにカラマツが尖り、黄葉したダケカンバが枝を張って、岩と砂の単色に彩りを添えている。
 思えば今回は、昨日の燕岳といい花崗岩シリーズだ。ただ南北アルプス花崗岩の山は少し様相が違う。北の燕は爽快な山だが、南の鳳凰三山森林限界が高く、雲中の縦走となったこともあって、仙界を行くような神韻縹渺たる印象が残った。また快晴の日に歩けばどんな印象になるだろうか。
 2時間で三山目の薬師岳に到着。このコースは上り下りが緩やかで、ドンドコ沢の登りで弱った後でもさほど苦労なく歩ける。これで天気がよく、野呂川の谷を挟んで白根三山を望むことができたら、何倍も気持ちのいい縦走になったことだろう。ほとんどピークがどこか分らないようななだらかな薬師岳まで来ると、小屋から散歩に来た人の姿もあって、黙々と歩いてきた気分があらたまる。疲れ顔で登ってきた人たちと入れ替わりに中道コースに入って下山開始。
 長い中道コースの尾根下りは、前半の暗い針葉樹林帯から後半の笹とカラマツ林へと一貫して樹林の道。帰心に逸っていることもあって、いつもながらに下山の道は、殊に長く感じられる。地の底まで下ってしまいそうなほど延々続く急下降に呆れ果て、結局毎度ながら山の大きさを身に沁みて感じることになる。古い林道を横断して、植林地をジグザグを切って高度を下げ、ついに小武川の谷に着地。ようやく傾斜から解放されて平らな林道をてくてく歩き、青木鉱泉に帰り着いた時には5時を過ぎ、駐車場からはほとんど車が消えていた。
▼青木鉱泉から鳳凰三山周回GPSトレース
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地蔵岳への最後の登り
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▼ガスに隠れる地蔵岳オベリスク
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▼赤抜沢ノ頭南面の花崗壁
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▼南面が切れ落ちた赤抜沢ノ頭
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観音岳北西斜面の紅葉
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▼縹渺たる観音岳南尾根
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