鉄斎美術館

 ついでがあって、春以来ひさびさに清荒神の鉄斎美術館に立ち寄る。秋の名作展を開催中で、いい絵がいくつも展示されていた。最晩年の水墨画の傑作「水墨清趣図」にも再会。このところ岡山で見た玉堂の一途な絵の印象にとらわれていただけに、鐵齋の画技・題材の豊かさをあらためて目にすると、懷の深い世界に抱き留められたような安心感が湧いてきた。
 玉堂は山水しか描かなかった画家だが、鐵齋は多くのものを描いた。文物に対する愛着や先人への尊敬が深かったから、鐵齋はそれを描いた。描かずにいられなかった。描くことで自分を育ててきた文化を再確認しようとした。玉堂にとって文化はそのなかで呼吸しているものだったが、鐵齋にとっては意識して反芻しなければならない類のものだったのかもしれない。
 一時代の文化の挽歌としての鐵齋の絵。
 境内の銀杏の黄葉はこれから