金沢

 正月旅行は北陸の古都見物。風雪の舞鶴道から北陸道を走って、前日遅く近江町市場の近くのビジネスホテルに入る。当然夕食は海のものでと、市場のなかの近江町食堂へ。休みの日には行列ができる人気店のようだが、意外に空いていて奥の小上がりでは地元の家族が子どもを遊ばせながらのんびり食べている。ビールを飲みつつ海の幸を食い散らかして大いに満足。市場と筋向かいの名鉄百貨店で追加の酒と当てを買ってホテルに帰った。
 翌朝、ゆっくり起きると窓の外の家並みが白い。ビル混じりの眺めなのでそんなに風情はないが、それでも旅行気分が盛り上がる。車はパーキングに駐めたまま、一日の古都めぐりに出発。夜来の雪が歩道にところどころ残っていて、嫁さんは防寒長靴で歩く。普段靴のこちらは足裏カイロで対策。
 百万石通りを右に折れて、二つ目の水路に沿って行くと長町の武家屋敷街。中下級の武士が集住したところだそうで、二三見物できる建物もある。正月も過ぎて天気も天気なので歩いている人はまばら。休憩所に入ったら手持ち無沙汰だったらしい案内の人から懇切丁寧な金沢のレクチャーを受けることになった。観光マップにマジックで書き込みつつ教わったところでは、金沢は浅野川犀川、二本の並行して流れる川を自然の堀として築かれた町だそうで、中央のお城と兼六園を大小の武家屋敷が囲み、東西の川向こうには二つの色街、東西の茶屋街と寺院群があるというなかなか分かりやすい構造になっていたよう。そして町中には二つの川から引いた用水が何本も貫流していて、舟運と除雪と防火の役目を担っていたそうで、用水の総延長は150キロに達するとか。案内人さん曰く、「前田利家候は二度も雷で天守閣を焼かれてるので、防火には熱心だったのと違いますか」。なるほどこうして少し歩くだけで、よく澄んだ水が流れる水路に出くわし、金沢もかつては江戸や大坂と同じく水都の面影をもっていたことを知る。
 雪消の滴から塀を守るためだろうか、下半分に薦掛けをした土塀が続く武家屋敷の小路を抜けてメインストリートに戻ると、大きな商業施設の立ち並ぶ香林坊。壊れてない伝統空間と現代がこれほど近接している都市も少ないだろう。香林坊から公園と市役所の間を東に進むと右手にガラス壁の現代建築が現われる。これが次の目的地、金沢21世紀美術館。ガラスのシェルの円形空間の中央に四角い展示スペースをいくつか配置した作りで、周囲のパブリックスペースを一周してから、中央の特別展と常設展を見る。このユニークな美術館についてはまた後日。
 美術館を出てさらに進むと正面が兼六園の真弓坂口。ここにもまた現代と伝統が踵を接している。20年以上ぶりの兼六園は、昔の正月もそうだったように雪で化粧している。中央の池畔の唐崎の松のみごとな雪吊りを眺め、茶店で昼食をとってから桂坂口を下り、環状道路の百万石通りを越えて金沢城へ抜ける。お城をゆっくり見ている時間はないので、三ノ丸広場から再建中の門の脇を抜けて新丸広場を突っ切り、NHKのある大手町へ下る。
 そのまま百万石通りを越えて右すると、道に面して泉鏡花先生出生之地の碑があり、奥には泉鏡花記念館があるのでもちろん見学。優美な装幀の初版本とともに鏡花の遺品も展示されている。昨秋にあった遺品展の図録「番町の家」というのがあったので喜んで購入。鏑木清方の挿画集もほしかったが、これは我慢してしまい後で後悔する。記念館を出て浅野川大橋を渡り右に入ると、べんがら格子の建物が連なるひがし茶屋街。メインの通りは電線が地中化されよく整備されているが、整い過ぎて雪空の下、通り全体が冷たく眠っているよう。観光客は幾つかの土産物屋をのぞいた後は、とりとめなく通り抜けるしかない。かつての茶屋街の華やいだ姿を鏡花は書き残していただろうか、探してみなければと思う。
 また浅野川を渡り返し百万石通りを歩いて近江町市場に戻り、最後に買い物をして今日の町歩きを〆た。最近は三が日でもあらたまったハレの気分が薄れ、殺風景な正月を送ることが多いが、フォーマルな伝統の姿が随所に残る金沢の町を巡るうちに、何となく正月らしい気分が湧いてきたのは不思議だった。

長町

金沢21世紀美術館

兼六園

泉鏡花記念館

ひがし茶屋街