南ア転進・信州峠

 上々の天気予報の三連休は押っ取り刀で中部山岳へ向う。南アルプス南部、光岳から聖岳へ2テント泊で縦走のプランで、前夜、遠山川を遡って易老渡登山口に入る。久々の複数泊のザックは重いが、モチベーションも高い。
 ところが車中泊の朝は雨で明けた。早朝から次々に出発していく周囲の音を聞きつつ、今日は登ってテントを張るだけとゆっくり好転を待つ。雨音は次第に間遠になるが、見上げる峰は分厚い雲に閉ざされたまま。空のどこにも青はなく、好転の気配はない。上は雪かも知れず、どんどんモチベーションが下がっていく。たとえ翌日が晴天と分かっていても、雨または雪のただなかへ登ってテントを張る気にはなれない。この辺が登山者としての自分の限界だろうと、変に納得しつつ9時、転進を決意。

 長い林道を写真を撮りながら逃げ下りつつ、B案を考える。登りたい山は数あれど、ある程度調べた山でないと、まったく白紙では疎漏の心配がある。そうそう以前に考えたプランがあったっけと、奥秩父の名峰、金峰山に目標設定。日帰りで、翌日は千曲川沿いに下った浅間山火山を見物する、南アの代替としても満腹できそうなプランだ。
 装備はザックが大き過ぎるにしても不足はないが地図が要る。幸い飯田に大きな本屋があったので購入。高速の事故渋滞につかまりつつ中央道須玉インターへ移動。そのまま金峰山山梨県側登山口の瑞牆山荘に向うが、その前に寄りたいところがある。登山口への道を右に分けて、県道を直進すれば山道にかかり、やがて信州峠。
 尾崎喜八の『山の絵本』にある昭和10年の文章「御所平と信州峠」に、峠から撮影した瑞牆山のいい写真があって、一度行ってみたいと思っていた場所だ。自動車道が越えている今の峠はかつての位置と同じだろうか。横尾山への登山口になっているらしい駐車スペースに停めて辺りを歩いてみるが、木々に覆われて峠からは尾崎喜八の写真のような瑞牆山の眺めはまったくない。ただ、自動車道のすぐ上に昭和37に立てられた甲信林道開通記念碑があり、その傍らに古い石造物が残るから、ここがかつての峠だったことは間違いなさそうだ。

 尾崎の写真で見る峠付近は、葉を落とした薄い雑木が雪の山肌に影を落として、明るいたたずまい。その白が遠景の瑞牆の峨々たる黒と好対照をなしている。尾崎たちは峠の上り下りに、煙を上げる炭焼き竃や炭を運ぶ女たちを目にしているから、当時は盛んに木が切られ、峠の眺望もすこぶるよかったのだろう。すっかり植生の変わってしまった信州峠に、あわよくば尾崎の写真と同じ構図の70年後をという目論見はかなわず、峠を少し戻った道路脇の木の間から、青々とした樹林の向こうに聳える瑞牆山をわずかに収め得ただけだった。
 峠を下りて登山口の駐車場に入り、弁当など食って明日に備える。