台風一過


 久々にやってきた台風の後の、洗われたような空の色も久しぶりだ。空気が澄んで遠くまでよく見透せて、雲の足はまだ速いから、一日中、遠く近くで雲が変幻自在の表情を見せる。何気なくベランダに出たら、しばらく目を奪われることになった。
 ところで、台風の後の空と雲の動きが感じさせる遙けさの感覚をみごとに詩にとどめたのは伊東静雄だが、その詩「夏の終り」を読む時、いつも南河内の野のイメージが浮かぶのは、子どもの頃の風景の記憶とこの詩とが、分かち難く結びついてしまっているからだ。というのも、大学生の頃だったか、当時駅まで歩いていた大きな潅漑池の堤防の道から見遙かす野の向う、2キロほど北に、かつて詩人の戦後の住居があって、「反響」に収められたこの詩も、そこで同じ野を眺めて書かれただろうということに気づいたから。
 その懐かしい南河内の野も今は甍の波に埋まり、遠く離れて住むこの土地も広々した平野の眺めにはまったく恵まれない山間のせせこましい地勢だが、空だけは窓の向こうに大きく広がり、今日は台風一過の雲とこの詩と記憶の野とを浮かべる大きなカンバスになったのだった。