春の雪


 まだ蕾の綻びも見ない高地人の感覚からすれば、花冷えと呼ぶには少しく早いように思うが、かといって寒の戻りと呼ぶにはすでに春も長けたこの二三日の寒さ。久しぶりに戸倉トンネルのライブカメラをのぞくと、驚いたことに雪景色が復活している。10センチも積もっているだろうか。最盛期に路肩にできていた1mもの雪の壁はいつの間にか姿を消して、シーズンももう終りの寂しさを感じるものの、今日の戸倉はまるで初冬の風景。今日、氷ノ山に登れば汚れた雪も真っ白に化粧直しして、ブナの枝もきっと霧氷で飾られていただろう。この週末は、氷ノ山で冬の名残りを楽しめる最後の機会かもしれない。
 春の雪といえば、思いつくのは伊東静雄の詩。

    春の雪
  みささぎにふるはるの雪
  枝透きてあかるき木々に
  つもるともえせぬけはひは

  なく聲のけさはきこえず
  まなこ閉ぢ百ゐむ鳥の
  しづかなるはねにかつ消え

  ながめゐしわれが想ひに
  下草のしめりもかすか
  春來むとゆきふるあした
 冒頭に「みささぎ」というのは「陵」で、当時住んでいた南海電鉄堺東駅近くの家に接してあった反正天皇陵のこと。住所でいえば堺市三国ヶ丘町四〇のこの家に、詩人は昭和11年暮れから空襲が激しくなる20年春まで住み、詩集「夏花」と「春のいそぎ」には「春の雪」をはじめ、堺の町を見下ろすこの丘陵上の家を舞台にした詩が幾つも見出せる。
 忘れていたが、そういえば大学生の頃、この家の辺りを訪ねたことがある。南海高野線は通学の路線だったので、気まぐれに途中下車して歩いてみたのだが、その頃も反正陵の周囲には、詩人が描いたのとさして変わらないひっそりとした空気が残っていたように記憶している。ここを富士正晴・林富士馬・庄野潤三・小高根太郎・田中克己、そして三島由紀夫までが訪問していたことを知ったのは後のこと。三島の『春の雪』の基調にこの詩があると指摘したのは、確か小高根二郎だったろうか。
『この家は、丘陵上にあるうへに、西が堺の町を越えて海に向いてゐるために、西風が烈しくあたり、殊に冬の間は、夜も睡り難い程にゆれることが多い。しかし、この、家の動揺や、周圍の木々の狂騒は、嵐の夜の賑はしさ、たのしさといふものを始めて私にをしへた。これは今迄に知らない經験であつた。又、そんな冬から、一二度の淡い雪を經て、早春の來る美しさも、ここではつきり見たと思ふ。』「夏花」