「刑事コロンボ」

 懐かしいコロンボをやっている。確か高校の頃だろうか、日曜の昼下がりに楽しみに見ていたのを思い出す。どの回もジワジワと犯人ににじり寄って行くようなコロンボの推理が面白かったけれど、大団円が特に水際立っていて記憶に残っているのは、絵に残したコロンボの指紋が決め手になるというもの。あれは何だったろうと、Wikipediaにシリーズの一覧があるのを調べてみると、「二枚のドガの絵」というタイトルの回。これからBShiで毎週土曜にやるらしいので、これは忘れずに見なくちゃね。
 それにしても最近やたらと「懐かしい」と形容しなければならないものが増えてきたのには参る。それはとりもなおさず、経験の多くが黴の生えた遠い時代に隔たってしまったという証左。小さい頃、若い頃に若々しく人気絶頂だった人たちが、このところ次々に鬼籍に入っていくというのも感慨をかき立てる。そして何よりも、正月に顔を見てきたばかりの親の衰えの印象の切なさ。
 これから人生右肩下がり、というには自分はまだ若すぎるだろう。第一、右肩上がりに絶頂を極めた感覚なんて皆無だ。ずっと低空飛行の雌伏生活である。けど、まだまだ何だってできるというには年を取り過ぎている。これも確か。人生の選択肢、可能性は年齢とともにどんどん狭くなっていく。残りの時間の充実はたぶんこれまでの経験の続きにしかないけれど、それは同時に惰性的な生き方と紙一重だ。