己丑元旦

元朝の富士
 朝、旦那寺へ詣でた以外は、どれも酒の肴みたいなお節を食べて、一日中微醺を帯びていた例年と変わらぬ元日。今年は義理先以外の年賀状も端折ってしまった。去年の氷ノ山雪中幕営の写真に「仕事は少なし、時代は悪し。できれば熊みたいに冬眠したい」なんてことを添えてなどと考えていたのだが、インクジェットと違い安物のカラーレーザーは写真がきれいに出ないので面倒になってしまった。
 元日といえば昔は家族でお菓子を競ってトランプ大会をやったりしたものだが、今では子どもたちは大晦日からカウントダウンとやらで出かけたきりでお節さえほとんど一緒に食べない。今さら伝統的正月を強制する気もないが、寂しい気がしないでもない。こうして家族は解体というか拡散していくのだろう。
 「竹外二十八字詩」にも寂しい正月の詩があったが、これは旅先で迎えた一人の元朝をうたったもの。
 ○戊申元早
 比屋の歡聲 令辰に閙(さわが)し
 豈知らんや 孤客の獨り春を傷むを
 誰を呼びて先ず飲まん屠蘇の酒
 妻無く子無き人に似たる有り