エドワード・サイデンスティッカー『東京 下町山の手』


 東京見物の復習本。
 副題に「1867―1923」とある。1867はもちろん御一新、ならば1923は? それは関東大震災の年。この年を限りに江戸文化の名残をとどめていた下町は消えてしまった。そのことの確認からこの本は書き出される。最初から挽歌の色合いは濃い。荷風・万太郎・谷崎等の回想の文章がそれに伴奏する。一貫して流れる失われしものを惜しむ筆致が、この本に詩的な魅力を与えている。
 ただし、著者は荷風のように詠嘆に終始することをしない。膨大な東京史・区史・案内書から抽出したに違いない東京の町の変遷史、各地区の分化と発展、拡散と停滞が、外国人らしい客観的な評価と全体的なパースペクティブのなかでたんねんに描き出される。首都としての政治や思想の歴史を除いた、町としての東京の物語。
 けれど著者は「雪国」「細雪」などの英訳で知られる文学者で、歴史家ではない。おのずと滅びた文化への愛着は表れて、小林清親の夜景に著者が指摘する憂愁の如きものが読後に残る。それは失われた下町のイメージとともに美しい。次に東京を歩く機会があれば、旅行鞄に収める一冊としたい。

 『つまりこうして、明治はきわめて大きな変化の時代だったわけである。それに、明治の終りにはまだ残っていたものも、やがて大震災によって破壊されてしまうことになる。明治の末年、江戸っ子は江戸の死を歎くこともできたと同時に、まだ下町のあちこちに古い家並の残っていることを喜ぶこともできたはずだ。……大正十二年の九月、大震災から一週間も経った頃、最初のショックから多少は気を取り直した江戸っ子たちは、ほんの一週間あまり前まで、すぐ身の周りにまだあれほど残っていた江戸の名残りを、なぜもっと心を込めて愛惜しておかなかったのだろうと、おそらくは無念の想いを噛みしめていたにちがいない。(安西徹雄訳)』