松茸


 2年ぶりのマツタケ。スーパーの安物が珍しくよかったので買ってきたという。たしかに、ころっと丸い傘の可愛いのが数本。それなりの色と匂いだ。これが、国内産どころか東アジア産でさえなく、トルコ生まれだというから驚く。
 日本と韓国と中国の一部以外では、見向きもされないどころか、悪臭のキノコとして忌み嫌われてきたものが、今やマツタケ経済を喚起して世界の人を巻き込んでいる。田舎の人にとってはいい小遣い稼ぎになっているのだろうが、いつぞや見たドキュメンタリーでは、中国の雲南の辺境で、娘の学資にと山中を這いずり回る貧しい母子もいて、複雑な思いにとらわれたものだ。昨今の中国産忌避で、マツタケ経済がいっきに萎んだ地域では、きっとたくさんの落胆の溜息が聞かれることだろう。
 かく世界の人々を右往左往させてまで、なぜ日本人はマツタケを求めるのか。おそらく似る物のないその匂いのせいだろう。採れて採れて子どもが蹴飛ばして遊んだという時代でも、人は年に一度のその匂いとの再会を喜んだ。ほとんど採れなくなった今、いよいよその匂いを口中に感じる幸福感は千金に値する。いや、万金に値する。
 そう幸福感なのだ。ほんとうに美味いのかどうかも定かでないが、年に一度のマツタケ体験は深い満足感と安心感を我々に与える。それは感覚的摂取ではなく、文化的摂取であり、いまや民族の共通体験に参加する一種の儀式なのではあるまいか。たとえそれが遠い異国の産だったとしても。