蒸し蕎麦・茹で蕎麦

 昨日の茶山詩で疑問点一つ。
 「一籃の銀縷 甑を出でて香ばし」
 甑は蒸し器だよな。ここは蕎麦の茹で上がった様子と考えたけれど、それなら甑ではなく釜を出でてとなるはず。もしかしたら当時の蕎麦は蒸したのだろうかと調べてみたら、ウィキペディアにこんな記述があった。

 『十割蕎麦は小麦粉を「つなぎ」に使ったいわゆる二八蕎麦よりも切れやすく、江戸時代には今のように茹でる蕎麦ではなく、蒸篭に乗せて蒸し、そのまま客に供する形の蕎麦が主流であった。現在も一般的なメニューとして名を連ねている「せいろそば」はその名残である。』
 なるほどね。そういえば上野の藪そばで食った盛りそばも「せいろう」だったなあ。蒸し蕎麦は茹で蕎麦のように一本一本がぱらりとせず、食感ももっと柔らかく、ずいぶん様子の違うものだったようだ。それがいつからかうどん粉をつなぎに混ぜて打ちやすくし、茹でて供することのできる今のような蕎麦になった。
 茶山の頃の江戸ではもう茹で蕎麦の二八蕎麦が主流で、そのさっぱりした味わいが江戸っ子の気っ風にも合って大人気だったはずだが、地方ではまだ蒸し蕎麦が普通だったのだろうか。街道筋の茶店などでは、小麦粉を別に用意せずとも、地元で収穫した蕎麦粉だけで作れる蒸し蕎麦が季節の味として供されていたのかもしれないな。
 地方の習俗を細やかにうたい込んだ茶山の詩には、こんな詮索の楽しみもある。