青刈田

 田園地帯を走っていて、今日、改めて気づいたことがある。田が青いのである。まるで早苗の頃の風景だ。もちろん稲刈りはとうに終わっている。我々の子どもの頃からの常識からすると、そこには切り株だけの寂しい田圃が広がっている季節だ。ところが見る田、見る田、すべてが青々としている。よく見ると、切り株から新しい葉が伸びて、30cm近くにもなっているのだ。
 なんでこんなことになっているんだろうと考えて、思い出したことがある。高校生の頃だったか、いつまでも寒くならず暖冬異変などと騒がれた年があって、その年の初冬の田圃がこんな風だった。ついぞ見たことのない、時季外れの青田の風景に目を丸くしたものだ。
 そうか、暖冬異変。しかし、冬を前にこの秋は、確かに遅くまで猛暑が続いたものの、その後は順調に気温が下がって、つい先日は最初の寒波らしきものを迎えたばかり。紅葉は遅れているものの、感覚としてはまあ、いつも通りの秋だったはず。ところが、田圃に起こっているのは、20年以上前の暖冬異変と同じ現象。つまり異変がいつの間にか常態化した年々を、我々は生きているということだろうか。
 要するに温暖化。稲の種類が再萌芽力の強いものに変わったり、稲刈りの時期が昔より早くなってもう一度芽を吹く余裕が与えられた、というようなことがないならば、これは温暖化した地球を象徴する風景の一つだということになるのかもしれない。
 子どもの頃、稲刈り後の広々した田圃は格好の遊び場で、畦を走り回ったり、稲藁の上を転げ回ったり、刈り株のイレギュラーをものともせず草野球に励んだりしたものだが、こんな田圃では何もできやしない。といっても、田圃で遊ぶ子どもなんて、もうどこにもいないか。
 青刈田遊ぶ子どもの影いずこ