山田寺

山田寺仏頭(レプリカ)
 日曜は奈良盆地へ。飛鳥資料館で以前から気になっていた山田寺の特別展が開かれているというので、それと山田寺跡に加えて、山田寺出自の仏を訪ねる旅をプランニング、というほど大層なものではないが、失われた大寺をめぐる半日の古都巡礼。
 まずは京都経由で、秋の行楽シーズンで人と車がいっぱいの奈良中心部に入る。奈良町の外れの安い駐車場にとめて、若者で賑わうもちいどの商店街を抜けて、猿沢池から興福寺へ。ここには中世に山田寺から強奪された仏像がある。この仏像があるから、山田寺の名は数ある飛鳥の廃寺(山田寺には小さなお堂が残るが)のなかでも特別な存在であり続けている。国宝館にある仏頭はつとに白鳳の雄品として有名だが、他にも山田寺由来の仏があることはあまり知られていない。それが東金堂にある日光月光菩薩。本来は仏頭の両脇侍だったもので、ともに僧兵によって山田寺から奪われ、東金堂に置かれていたが、15世紀の火事で本尊は焼け崩れて頭だけになってしまったのだという。
 拝観料300円を払って東金堂に入ると、なるほど他の中世以降の仏たちとは様子の違う凛とした金銅仏の日光菩薩月光菩薩がたたずんでいた。一見薬師寺の日光月光に似ているが、さすがにあれほどの優美さはなく、肢体の表現は控えめ。けれど、狭い堂に膝から下が見えない状態で置かれていいような仏ではない。ネットを探してもこの2体の写真は見つからなかったので、撮影禁止の注意書きがどこにもないのを幸い、しっかり写真を撮らせてもらう。暗い堂内だが、D40の高感度撮影能力がものをいった。もちろん、国宝館の日本の仏教美術興隆期の若々しさを漲らせた仏頭、ついでに特別公開だという北円堂の無著世親像も拝して、奈良を離れた。
 続いて、奈良盆地の東を限る青垣山を左に見つつ196号線を南下して飛鳥古京へ。遠足?の高校生がうろうろする飛鳥資料館に入る。「奇偉荘厳 山田寺」と銘打った特別展は、発掘で得られた細々した遺物を展示したささやかなもの。けれど「奇偉荘厳」という言葉は、11世紀に高野山参詣の途上、山田寺に参拝した藤原道長が残したものだそうで、興福寺の仏像と並んで往時の偉観を伝える証言だろうと、心にとどめた。もう一つ、かつての建築の壮観を物語るのが、この資料館の最大の呼び物にもなっている1982年に出土した山田寺東回廊。金堂と五重塔を囲んでいた回廊の連子窓が土砂崩れの土に埋まったままみごとに残っていたそうで、大ぶりな部材を使った立派な回廊が復元されている。一方でこれほどの大寺が荒廃に任されていたという歴史の無常をも感じてしまう遺構だった。
 最後に来た道を少し戻って、山田寺跡を訪ねた。もう陽が傾いて、小さな観音堂と少し盛り上がった基壇の跡以外何もない野っ原の寺跡に、近くの田でもみ殻を焼く煙が流れる。ここに堂塔伽藍が聳え建ち、あの仏たちが輝いていた様子を想像することは難しかった。