鐵齋

 ○嵯峨夜帰
 萩露萱風 秋 叢に満つ
 西郊 啼く虫ならざる処なし
 陰雲 月をおおう幽篁の裡
 一穂の明燈 車折
 富岡鐵齋のこの季節の詩。新学社の近代浪漫派文庫、鉄斎・蓮月の巻をときどきのぞいているけれど、鐵齋の詩はもしかしたらそんなに悪くないんじゃないだろうか。自画に題した詩も多いみたいだが、絵の斬新・大胆なタッチとは対照的に、詩の切り口はごくオーソドックスだ。漢詩の常套を踏まえて、落ち着いて詠まれている。こういう伝統的な美学の上に、あの独創的な絵が描かれたというのは不思議な気がするけれど、加藤周一もこう言ってたっけ。

『かくして鉄斎晩年の画業は、題材と「マティエール」における保守主義が絵画的革命すなわち面と線と色彩における新しい「ヴィジョン」の条件ではないか、という考えに、私を誘う。』
 因みに詩中の車折宮、車折神社は鐵齋が一時宮司を勤めていた。鐵齋の絵を蔵していて、車軒文庫として年に一度限定公開をしている。今は住宅地のただなかだが、昔は嵯峨野の竹が美しい土地だったのだろう。虫の声に包まれた深い竹藪の奥に、このお宮さんの明かりだけがぽつんと灯るというイメージは印象的。