きりぎりす

 盛夏が戻ったような暑い日だったが、真夏と違うのは夜まで熱が残らないこと。ひんやりした夜気の降りた庭には、虫の音がいよいよ頻りだ。こおろぎの親玉みたいなエンマコオロギの土鈴を転がすような声はまだしてないようだが、テレビの音を消して耳を澄ますと、数種の虫が入り交じって、小鈴のような、弦のような、あるいは金属的な響きで庭の空気を震わせている。
 ところで、古語の「きりぎりす」は今のころおぎで、古語の「こおろぎ」はきりぎりすと昔習ったけれども、真夏の昼に刺激的な摩擦音をたてるあの虫にいかにもぴったりなこの名が、なぜ秋の夜にまろやかにすだく虫についたのだろう。またその逆でもあったのだろう。そして、この名前のミスマッチは、いつどのように今のようなしっくりくる形に落ち着いたのだろう。その辺の知識は岩波古語辞典を見ても、平凡社大百科事典を繰っても、ウィキペディアを検索しても見出せないけれども、言葉にはその音や字面の印象に従って、自然とふさわしい場所に移動するという性質があるのかもしれない。最近よく見られる「命題」という言葉の誤用などにもそれが感じられる。
 なけやなけ 蓬が杣のきりぎりす 過ぎゆく秋は げにぞかなしき