若い国

「東京は若いんだ。一九七〇年代の頃か、社会の重心を若い方に移して、すっかり子供っぽい町になった。何をやっても半分遊びで、軽くて、頼りない。確実なものが何もない。高層ビルでも三十年で壊すつもりで建てている」
 池澤夏樹の短編集『きみのためのバラ』のなかの「人生の広場」の一節。同感そして納得。70年代に重心が若者に移ったというのは卓見じゃないだろうか。しかもこれは東京だけのことじゃない。子供っぽいのはこの国全体だ。テレビのバラエティ番組は若いタレントであふれているし、人気のドラマや映画も若者中心、若書きみたいなお子様小説が流行り、盛り場には雰囲気も味もペラペラな店が並ぶ。若い女性をターゲットにした店が大半を占める大規模ショッピングセンターが各地に生まれ、成人をとっくに過ぎたいい大人が遊園地の遊具で黄色い歓声を上げる。この国の社会の表層の部分は、ひたすら軽く能天気な若者の色に染まっている。
 なぜこんなことになったのか。たぶん根本には商業主義の原理がある。最も消費の活発な部分を求めて、コマーシャリズムは若者に媚び迎合し、メディアも環境も若向きに作り変えていった。その間、ローンと養育費の重圧の下で消費の主役を若者に譲ったお父さんたちは、時間の多くを会社に捧げて生きてきた。そして気がつけば、町には甘やかされた糞生意気なガキがあふれ、かつて小津安二郎の映画で部下や妻子を睥睨していたような、重みと味のある中年男はもうどこにもいない。万一いたとしても、彼にふさわしい場所は社会の目立つ場所からは消えている。
 もちろんこんなお子様社会が好ましいはずがない。巻き返しの可能性はあるのか。たぶん、退職金と年金をたっぷりもった団塊の世代の大量退職がその契機となるだろう。たとえば最近のBSデジタル番組の落ち着いたコンセプトに、その予兆が感じられないだろうか。