篠崎小竹

 終日家居。いわゆる寝正月。困った時の漢詩頼みで、ふたたび新年の詩。漢詩は基本的に機会詩であり、波乱の少ない江戸の漢詩人たちの生活のなかでは、歳暮・元旦も大切なルーティンの作詩機会の一つだった。
 ○壬午新年
 管せず 鏡中 霜雪侵すを
 村々の花柳 すでに心に関す
 ただ新年の詩思乏しきをあやしむ
 一事として呻吟すべき無しとなす
 鏡のなかに白髪が増えたのなど気にしない
 早くも花の春が心にかかっていて 気持ちは若いのだ
 ただ新年の詩のアイデアが一向に浮かばないのが気になる
 苦吟すべきテーマがひとつも見つからないのだ
 壬午は文政5年1822年。1781年生まれの小竹は41歳とまだ老け込む歳ではないが、さすがに青年の頃のように、ポエジーは潤沢ではなかったろう。ただ、それを詩にしてしまえるのが、プロ詩人の強み。また、必ずしも斬新な詩想を必要とせず、厳格な形式に沿って言葉を配置することで詩が成立してしまう漢詩の強みか。