独裁者の死

 フセイン元大統領の死刑執行。政権崩壊から3年半(asahi.com
 フセインの圧政と暴虐の罪は承知の上で、それでもむごたらしい印象がぬぐえないのは、権力を剥奪されたかつての独裁者の弱々しい個人の姿が、これまで何度も、テレビに流されていたからだろうか。またイラク戦争自体が、アメリカの極右の暴走によって引き起こされた、一方的な蹂躙の印象を少なからず帯びているからだろうか。
 「勝者の裁き」濃厚 フセイン裁判、米が実質的に介入(同)
 東京裁判と同じ構図。東条英機A級戦犯の死刑執行が1948年12月23日、まさに敗戦から3年半後のことであり、偶然の一致以上のものを感じざるを得ない(日本の戦後民主化に近いものを期待したアメリカの構想はとうに潰えているが)。その日、多くの日本人は何を感じたのだろうか? また今日、宗派抗争やイスラム過激派の走狗ではない、一般のイラクの人々は、どんな感情をもったのだろうか?