落日三句


 雑木林にまぎれて弱々しく燃えていた今日の夕陽。思いついてこの季節の夕暮れの名吟を、またぞろ江戸の句に探してみる。暮・夕・日の3語で近世テキストに検索をかけるが、意外に冬の夕暮れ吟は少ない。多いのはやはり「春の暮」と「秋の暮」。後者はしかし、秋の夕暮れというよりも、晩秋の意に使われている場合が多そう。有名な芭蕉
 この道や行く人なしに秋の暮
だってそうだ。「春の暮」の方は聞くだに匂やかなものを感じる、まさに俳諧師のためにあるような言葉。駘蕩と花に暮れる江戸の春を詠んだ名句も多いはず。対して「冬の暮」はそもそも江戸の発句に存在しなかった(たぶん)言葉だ。この言葉の寒々としたイメージを、江戸の俳人たちは嫌ったのだろう。もしかしたら近代好みの言葉かもしれない。
 ようやく得られた冬の(と思われる)落日吟3句。

 鷲の巣の樟の枯枝に日は入ぬ
 炭賣に日のくれかゝる師走哉
 蕭條として石に日の入枯野かな
 最初のは凡兆、後の二つは蕪村。凡兆はこの人らしい緻密なイメージの組み立てを机上で楽しんだような句。蕪村のはさすがに実景の実感を感じさせながら、独自の情景の発見をめざした句。とくに最後の句の、「石に日の入」というユニークな措辞は読む者にとっても刺激的。厳しい題材のせいか、3つとも気合を入れて詠んだ名句揃いではないだろうか。