堀田善衛・教育改革

 「刺激と言えば、上級へと昇って行って課目に、議論と討論が加わって来たことが、彼にとってもっともよい刺激であったであろう。それは、毎日午前午後の全教科が終わったところで、その日の授業のしめくくりとして行われたものであった。その日のどの課目、あるいは教師の説明等についても学童たちが相互に質問を提出し、それに答える。意見を交換し、また時には討論によって勝負を決める。と、このような形のもので、それは西欧の教育には欠かされてはならないものであり、彼等西欧人の人格形成は、いわばこの討論の形をとって形成されて行ったものであった。
 学校とは、あるいは教育とは、ある学年級に到達した場合、一言で言って、討論の場であった。そうしてこの討論の場としての学校、あるいは教育という考え方が、遺憾ながらもっとも欠けているのは、東方世界のそれであろう。」
『ミシェル 城館の人』
 教育改革を云々するなら、これぐらいのことから始めてほしい。一人ひとりが自立して考えたり、ものを言ったり、人と議論ができる能力。そして、場の空気なんかではなく、論理的に正しい考え方が通るという社会的ルール。この基本がないと、ほんとは民主主義とか議員政治とかは成り立たない。
 「規範意識の回復」が教育の大目標だなんて、危なかしくて仕方がない。