秋風

 ずいぶん日が短くなった。大陸由来の高気圧のせいで湿度が低く空気が澄んで、昼間の日射しは真夏以上に烈々としているが(ソーラー温水器の湯はほとんど沸騰している)、6時過ぎ、早くも日が傾くとにわかに立つ夕べの風は、もう秋の寂しさを連れている。

 夕方、スーパーに出かけると、珍しくカボスがあったので思わずかごに放り込んだ。スダチの倍ほどもある、見るだに唾がわいてきそうな小柑橘だ。となると、次に探すものは決まっている。あったあった、新物のサンマ。北海道産とあるから、秋深まって本州の沿岸に南下してくるよく脂の乗った状態にはまだ及ばないにしても、うれしい初秋の走りのサンマ。ふだん関西では一塩した塩サンマを食べることが多いが、秋ばかりはやはり生サンマだ。

 帰ってさっそく塩をまぶして魚焼き器に入れる。焼き目がついて皮がふつふつとしたら焼き上がり。半切りにしたカボスを添えて食卓へ。熱々のところへジュッと搾りかけて、湯気の立つ身を口に運ぶ。う〜む、カボスの鮮烈な香気がサンマの滋味を包んで実に爽やかだ。こりゃ、ええわ。これまでサンマはもっぱら大根おろしだったが、身がどうも水っぽくなるのが気になっていた。旬のサンマは柑橘だなと確認した次第だが、もちろんそんなことは1世紀近くも前に佐藤春夫よく知られた詩で提唱している。

 あまりにも人口に膾炙した、ほとんど俗謡に近い受けとめられ方をしている詩。けれど、人妻への叶わぬ思慕の情を、大胆にもサンマの夕餉に取り合わせて、物悲しくもユーモアを含んで表した、俗中に玉を抱くような一篇だと思う。それを、秋風の立つ日、こうしてサンマにカボスの汁を搾りかけて食らいつつ思い出し、反芻する楽しみ。この風土、この言葉の下に生まれて幸いなるかな。