加藤周一の入信

 今頃になって知ったことだが、加藤周一は死の数カ月前にカトリックの洗礼を受けていたらしい。
 少しだけショックを受けた。自分のなかで加藤周一と信仰とはほとんど結びつかなかったからだ。といっても、裏切られたという思いはない。加藤周一無神論者だったことはない。「神はいない」と断言することにも、「神はいる」と断言することにも、決定的な根拠はないと考えていただけだ。不可知論。
 けれど同時に、人は定かならぬものを信じて生きるものであることを知っていたし、そして時には、定かならぬものを信じることでしか前に進めない時が人にはあることを知ってもいた。星への歩み。
 加藤周一は神父に洗礼を望む理由の一つとして「母親と妹がカトリックの洗礼を受けていて、自分も死んだときに母と将来は妹とも天国で会えるようになりたい」と語ったそうだ。
 もし信仰者の天国というものがあるとして、そこが信仰者しか立ち入れない場所なら、信仰を受け入れることで愛する人たちに再会できる可能性が生まれる。信仰を得ずに死ねば、たとえ天国があったとしても再会できないし、天国がなければもちろん再会などあり得ない。だったら愛する人たちに再会できる可能性を得るために入信を選ぼう。
 そんな皮相な理屈で洗礼を求めたとは思わないし、そんな信仰の選び方は信仰の冒涜そのものだと思うが、加藤周一の知性がそのままで信仰を受け入れたと考えるためには、そんなことも想像してしまう。
 いや、究極の知性の果てに、加藤周一は定かならぬものを信じて進んだ人の歴史に従ったのではないだろうか。信じることで偉大と美を残した人々のように、人生の最後の時間に美しい詩と夢を描くことを選んだのではないか。
 思えば加藤周一の知性が描いた鮮やかな軌跡も、けっしてニュートラルなものではなかった。痛切な時代経験から生まれた個人主義的な平和主義と、多くの芸術体験に基づく人間の創造性への礼賛。これらも一つの信念の体系といえなくもない。
 信念に基づかない知性は不毛に終わり、知性に立脚しない信念は専横に堕する。正しい信念を美しい知性で論じ続けてきた加藤周一が、最後に信仰という個人的な信念に安らぎを見出したとしても、誰も非難することはできない。
 洗礼からちょうど一月後の2008年9月19日、加藤周一は意識をなくし、臨終までの長い眠りについたという。