大琳派展ほか

 ちょっとひとっ走りというには遠すぎるが、上野公園の3館に注目の美術展が集中した折から、思い切って東下りしてみることにした。日帰りも十分可能だが、一泊して翌日は江戸見物を楽しむことにする。
 N700系の窮屈で座り心地の悪いシートに3時間耐えて着いた東京は雨、それもときどき土砂降り。道が川のように水浸しになった上野公園内の移動を繰り返しているうちに、靴にも水がしみこんでくる。展覧会どころではない天気だが、おかげでさしもの人気展も混雑はさほどではなく、禍転じてというべきか。

 まずは国立博物館平成館の「大琳派展」。1972年に開催された「琳派展」以来30数年ぶりの大規模展で、この間隔では次があっても見られるか分からんぞ、というのが今回の遠征の一番の動機になった。タイミング悪く宗達風神雷神光琳の杜若は見られなかったが、さすがに規模といい質といい、宗達から其一まで琳派を大観するにはまたとない機会だった。印象としては宗達と江戸琳派が充実していて、光琳がちょっと寂しかったような。乾山はいいのが幾つか。大坂琳派中村芳中は呼ばれてない。超大物というか核になる作品に会えなかったのが少し印象を弱めている気がする。
 宗達では、6月にサントリーミュージアムのガレ展で1点だけ見た、光悦筆和歌色紙の下絵のさまざまなシリーズが面白い。小品といえば小品だが、意匠の多様性といい構図の大胆さといい、琳派のエッセンスがすでにここに凝縮されている。小品だけに図録で追体験しやすいのも有り難い。一方江戸琳派は、精緻さ繊細さで目を引くけれど、弱さも感じる。其一まで見ていくと、あらためて宗達のいきいきとした創造性がふり返られる。琳派は結局、始祖の宗達が一番前衛的だったのではなかろうか。

 続いて国立西洋美術館の「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」。すでに取り寄せたカタログでなじんだ特別な雰囲気の作品群を、ここは比較的空いているのでゆっくり見て回ることができた。ただ、そのせいかゼロからの出会いの驚きや不思議感が薄まってしまったのが残念。一見静かな美しさを湛えた絵ばかりだが、キュレーターの解説は絵の非現実性や不気味さを強調する。どちらの視点に立つべきか、結局判断保留のまま館を出る。よく効いた冷房に雨に濡れた体が冷え、それに絵の印象が加わって、地味ながらしんしんと沁み通るような展覧会だった。

 最後に東京都美術館の「フェルメール展」。これは午後も遅くなったせいか、話題性のせいか、一番の混雑。フェルメールはわずか7点だから、なかなか御本尊にたどりつかない。ようやく人の頭の間から拝めても「ふ〜ん、これがフェルメールか」という程度で終ってしまった。西洋の近代以前の絵に感じ入るには、ルネサンス以降の絵画史や地域ごとの動きといった予備知識が不可欠。それにはやっぱり現地に行って見ることだろうな。
 10時から4時半まで、絵を、あるいは絵を見ることを堪能した一日だった。やまない雨のなか、濡れた靴下と膝近くまで水を吸ったズボンを気にしながらホテルに入り、温かいシャワーを浴びてようやく人心地がついた。