光の春


 気温はまだ低いが、今日の午前のように、風がなく遮る雪雲もなく陽光が注ぐと、にわかに春の気配が漂うように感じるのは、冬至の頃にくらべて太陽の位置が少し高くなったからだろうか。これを「光の春」と呼んだのはロシア人だそうだが、この先も長く雪と氷に閉ざされる大地で、せめて光の変化に春の兆しを感じ取ろうとする、北の人々の思いが感じられる言葉ではないか。もちろん極東の我々も、かつてはこの季節を1年の始まりとして、梅の香とともに新春を言祝いだのだが、今はいたずらに太陽暦に縛られて、自然の復活の最初のかすかな鼓動をうかうかと見過ごしがちなのは残念なことだ。