「千の風になって」

 去年あたりから標記の歌が流行っているのは知っていたが、まともに聴いたことがなかった。感傷的なメロディと詞がかなわんなという気がしていたのだ。今日、何とか歌謡祭というのを見ていて、初めて通しで聴いたのだが、メロディはともかく、詞のこの部分はちょっといいではないか。

 秋には光になって 畑にふりそそぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
 夜は星になって あなたを見守る
 聴いていて思い出したのが、高村光太郎の「亡き人に」という詩。有名な詩集「智恵子抄」に収められた、妻智恵子の死後に書かれた4つの詩の一つで、親サイトの方にも書いたが、自分の特別に好きな詩だ。詩人は亡き妻が日々の光と香気のなかに宿り、おのれを見守っているという感覚のなかで、昇華された愛の幸福感をうたう。「千の風」が好きな人はぜひ味わってみてほしい。こんなに麗しい悼亡詩は他に知らない。
 ところで考えてみたら、火葬が一般的なこの国では、人は焼かれて身体を構成する分子の大部分は大気中に拡散する。骨壺にはわずかなカルシウム分が残るに過ぎない。まさに人は千の風になるのだ。我々が吸っている空気にも、元は焼かれた人々のものだった分子が漂っているに違いない。それらはやがて土や水に同化して、植物や動物になり、再び誰かの身体に取り込まれることもあるだろう。人の死も宇宙の壮大な物質の循環の一部。そう思うと、湿っぽい墓地にのみ亡き人を縛りつける必要はどこにもないのだ。「千の風になって」は、というかアメリカの原詩“Do not stand at my grave and weep”はまさに正しい。