災害大国

 東岸を強力な台風が駆け抜けたかと思えば、すぐに大きな地震。この国の自然災害の頻度は世界でも有数ではなかろうか。テレビには上空から鵜の目鷹の目で探したと覚しい倒壊家屋の映像がしつこく映し出される。やがて地上の無残な、しかしあの日以来すっかり目に馴染んでしまった震災の風景が流れる。それらの風景に、悔しさよりも諦めのようなものを感じてしまうのは自分だけだろうか。自然の巨大な暴力の前に所詮人間は無力だ。日本のあらかじめ寿命を限定したような華奢な家屋の造りには、そんな一種の知恵が働いているようにも思えてくる。一度石を積み上げてしまえば、百年単位で将来が見通せるヨーロッパの家と違い、先の見えない日本の家は悲しい。先がどうなるか分らないならば、永続を願わず、簡便に作って、あっさりと捨て去り、また簡単に再スタート。それは賢い処世のようだが、何代ものストックの蓄積の末に、美しく味わい深く人間味豊かに整えられたヨーロッパの家々を見るとき、どちらの家のあり方がより質の高い生活をもたらすかは明らかだ。家が長持ちすれば、何世代にも渡る愛着と手入れが生活空間をますます輝かせていくだろう。フローではなくストックとしての家を、この国の風土に建てることはできないのだろうか。