草紙洗


 日曜日に三木のホームセンターで、以前から欲しかった草紙洗を見つけて購入。売れ残りの苗木のなかに、ひっそり花を咲かせていた。椿苗としてはずいぶん安い値段なので、細々と頼りない苗だが連れ帰る。江戸時代からある古典椿の一つで、名前の由来は謡曲の「草紙洗」。
 大伴黒主小野小町と歌合をすることになり、自信がないので小町の作歌を盗み聞きして、万葉集の草紙に書き込み、小町の歌は古歌の剽窃だと言い立てる。窮した小町が、草紙を水で洗うと新しい墨が流れてたくらみ露顕という、六歌仙の黒主には気の毒な筋立てだが、最後は歌への執着を良しとされて、お咎めなし。小町が仲直りの舞を舞っておしまいという、都合が良過ぎるけれど、不思議にめでたい曲。紀貫之や几河内躬恒、壬生忠岑といった他の歌仙たちも登場する華やかさが好まれているようだ。
 それにつけても、細かい絞りを吹き散らしたこの花を、流れた墨に見立てて草紙洗と名づけたセンスはどうだろう! 江戸の園芸文化のハイレベルさがこんなところにも感じられる。花の魅力に加えて、このネーミングがあるから、よけいに持っていたい椿だった次第。
 ちなみに曲中でその時詠んだとされる小町の歌、
  蒔かなくになにを種とて浮き草の波のうねうね生ひ繁るらん
 は後世の偽作とされているけれど、小町の伝説的なイメージをよく表している。鏡花の『五大力』に登場する「浮草小町」の面は、ここから来たのかもしれないな。