大窪詩佛
○秋残二首 その一
端無くも一臥して秋光晩るる
蟋蟀 声衰えてすでに堂に在り
倦思消し易く 昼の短きを欣ぶ
老懷 睡少なくして宵の長きを怕る
寛心 すなわちこれ延年の術
禁酒 避穀の方よりも難し
四體たとい我が有に非ずとも
地餘方寸 未だ全く荒れず
一代の流行詩人だった大窪詩佛の晩年は寂しいものだったようだ。大火によって豪壮な詩聖堂は灰塵に帰し、下谷練塀小路に居を構えたものの妻に先立たれ、身体の衰えも進む。『詩聖堂詩集三編』の最後の詩は、「丁酉元旦」と題する七絶だが、その翌月に詩人は没するから、絶筆と言っていいだろう。中村真一郎は『頼山陽とその時代』でこの詩を、「この陰鬱な心境が詩句に表現されると、どことなく朗らかな色彩感覚に包まれるところが、詩人詩佛の面目であろう。」と書いている。生涯の最後に新年の詩が来るところなどは、華やかだったその詩歴にふさわしい巡り合わせと言えるだろうか。
上の詩は、その絶筆の2つ前に置かれたもの。最後の秋の暮れを詩人は衰えをなげきつつ送っている。「身体はたとえ自由にならなくても、心はまだ弱り切ってしまったわけじゃない。」強がりのような終わり方を、ほほえましいと取るべきか、寂しさ勝ると感じるべきか。