川本三郎

「今日、私が佐藤春夫に、とりわけ『美しい町』にひかれるのは、この第三領域性である。私たちはあまりに成熟と反抗の二元論に悩まされ続けてきた。近代日本文学史を、成熟の完成と反抗の持続という図式でとらえすぎてきた。それにかわって“成熟も反抗も知らない”とする第三領域の可能性をさぐってもいいのではないか。そのとき佐藤春夫が大正時代に書いた、淡い幻想性を持った作品群はひとつの手がかりになるのではないか。」『大正幻影』「幻影の街」
 小説を絶え間なく読み続ける習慣を失って久しいが、佐藤春夫を「花の作家」「幻想の作家」と再評価している川本三郎のこの本を読んでいると、もう一度明治以降の小説を体系的に読んでみたい気持ちが湧いてくる。考えたら、若いころの小説の読み方というのは、文芸作品として味読するというよりも、自分の体験の乏しさを補う疑似体験としての読書という意味合いが大きかったように思う。酸いも甘いも噛み分けた、かどうかは知らないが、この歳になって分かる小説の価値、楽しみというものがあるかもしれない。