伊勢講

 毎年成人の日に開かれる「伊勢講」なる地域の寄り合いの当番に当たっていて、朝から会場の設営を手伝う。伊勢講というのはたぶん江戸以前に起源を発する古い組織で、当時の庶民にとっては手の届かないお伊勢さんへの参宮を、講を組んで資金を出し合うことで実現しようとしたものらしい(ウィキペディアの「お伊勢講」)。当地では、今も何年かに一度、希望者による伊勢参りを行っていて、当初の形態を残してもいるが、ふだんは地域の親睦の場として、また氏神の各種行事を持ち回りで担う組織として機能しているようだ。
 それはそれで結構なことなのだが、この伊勢講、これまで3度ほど出たところではあまり愉快な印象はない。古くからの地域社会というのは、家の歴史を背景とした人間関係がなかなか複雑で、それに消防団などの青年組織で培われた世代間の上下関係が絡んで、組織として何かを合議するにあたっては一筋縄ではいかないということになる。酒が入っているので、面倒な状況になる場合も多々あるようだ。新来者の無責任な目には、おもしろい見物ではあるのだが、辟易している人も多いだろう。
 地域の氏神を中心に連綿と続いている祭礼には魅力を感じるが、伊勢講を代表とする村落共同体にはちょっと深入りする気にはなれないのだ。