多田繁次

「林道が高度を上げ、北面へ回ると坂の谷の源流地帯が目前に展開する。渓流は、ところどころ白布を垂れたように懸崖に砕け、まるで白竜が天へ馳けのぼるかのよう。かつてスキーで登った杉林も正面に(中略)稜線めがけてはい上がっている。その稜線――木無平から分岐して戸倉峠へのびる県境尾根の、あまりにも変わり果てた姿を見て愕然とした。
 まるでジャッキで刈り上げた丸坊主のように見える。ふた抱え以上もあった古くて美しいブナの原生林は、すっかり姿を消されているのである。
 霧氷にかがやくブナの疎林を、スキーでぬうて行くあの夢のような愉しい味わいは、もはや還らぬ思い出となってしまった。国定公園として自然を護ろうとする一方で、同じ国の国有林が、風致や自然環境などお構いなしにどんどん伐採されて行く現状――さらにいま、私たちが登っている林道も、おいおい頂上へ頂上へとその魔手を延ばして行くだろうし、さらに驚くべきことには、この道がやがては氷ノ山、鉢伏山、瀞川山を貫くスカイラインとして成長させるという県の計画に至っては、まったく唖然として言うべき言葉もない。」『兵庫の山やま・総集編』「氷ノ山」」
 多田繁次は、新田次郎の『孤高の人』で知られる加藤文太郎とも親交があったという、兵庫の登山史の語り部の一人。晩年、神戸新聞出版センターから幾冊かの山の本を出したが、そこには氷ノ山をはじめとする中国山地東部の山々のかつての美しい姿の記憶とともに、高度成長のなかで進む自然破壊、とくに豊かなブナ林の容赦ない伐採をなげく言葉が書き連ねられ、懐旧談にとどまらない、重みのある著作となっている。
 ここに触れられている氷ノ山の「木無平から分岐して戸倉峠へのびる県境尾根」は、実はなじみのスキー登山のフィールド。駆け出しの山スキーヤーには、そのなだらかな地形が安心できて、昨シーズンは数回歩いている。それだけに、かつてのブナの原生林におおわれた美しいありさまが、「還らぬ思い出」として語られる部分には目をとめないわけにはいかない。今もこの大きな尾根の中央部分には古いブナが立ち並んでいて、その雄偉な枝ぶりを見上げつつゆっくりスキーを滑らせていくのは、実に楽しい時間なのだが、現在、線としてのみ残るブナが、かつては一面の原生林としてスキーヤーを迎えてくれたというのだから、その愉悦、如何ばかりだったろう。新しいシーズンの氷ノ山県境尾根での山スキーは、この多田老の懐旧と哀惜の視線を宿した、少しウェットなものにならざるを得ないだろう。