デジタル一眼が欲しい

 NIKON D-40
 デジカメはコンパクトで十分。ずっとそう思っていたのに、つい数日前から標記の欲望が頭をもたげてきて、どうしたものかと考えている。これまでのカメラの使い方を考えると、最も撮影機会の多いのは登山写真だが、そこでのコンパクトデジカメの優位は将来も揺らぐことはないと思う。山歩きの途中、いい風景を見つけたら、ザックを背負ったまま、すかさず胸のポケットからカメラを取り出して1ショット。そんなお手軽な撮影スタイルは、重くてかさばる一眼レフにはとうてい実現不可能だ。フィルムカメラの時代の「バカチョン」なんて呼ばれたコンパクトカメラは、画質も機能も低くて、とても山で使う気になれない代物だったから、いつも一眼レフをブラブラさせながら登っていた。しかし、今のコンデジは、機能はともかく、画質は悪くない。場合によっては一眼に匹敵する画像が得られるきわめて優れた機械だ。なぜそうなのか、ということを考察するのは、興味深いテーマだと思うが、それはここでは、フィルムカメラとデジカメの進化の歴史の違いによるものだとだけ私見を述べるにとどめるとして、要するに山では、本格的な風景撮影を志すのでなければ、少なくとも自分にとってはコンデジで十分なのだ。
 ならばなぜ一眼か。もちろん山以外の撮影の機会、旅行だとか庭の花だとかをより効果的に撮りたいという気持ちはある。一眼があれば、それらはより自由に楽しく撮影することができるだろう。しかしそれは、冷静な仮定法的判断にすぎなくて、今回の欲望を直接呼び起こしたものではない。必要だから欲しいのではない。欲しい物があるから、欲しいのである。物欲とはそういうものだろう。欲しい物とはなにか。それがNIKON D-40なるカメラだ。
 数日前、このカメラの発売情報がネットに現われてから、標記の欲望が生じた。すなわちこの物が琴線に触れたのである。何が琴線に触れたのかを、つらつら考えてみるが、あまり自分にも明確ではない。ニコンの一眼にしてはこれまでになくコンパクトだという点は確かに魅力的だ。しかしコンパクトな一眼なら、キャノンからもペンタックスからも既に発売されている。雰囲気がいい。確かに小さいながらチャチくはない雰囲気だ。グリップに入ったニコンの赤もいい。だが機能はどうか。最近流行りの手振れ補正やCCDのゴミ取り機能はない。機能的にはごくベーシックだ。しかも、デジタル一眼でありながら、撮影画素数は約600万画素。最近はコンデジでも1000万画素のものがざらにあるのに、この控えめな数字はどうだろう。でも、パネルにでもするのでなければ、600万画素は十分な大きさだ。今、山の写真は400万画素で撮っている。パソコンにもこの方が負担がかからない。と、フォローしたくなるほど、一眼レフでこの画素数は、もはや時代錯誤的でさえある。――つまり、最もブランドイメージの高い写真機メーカーが出した、ごくごく控えめな機能とあまりに商売気のない画素数の、しかしそれなりの質感を備えた手のひらに乗る一眼レフ。このあまり華やかならざる全体が、なぜか自分には魅力的なのである。物との出会いとはこうしたものだろう、恋愛と同じように。
 発売は12月からだそうだが、しばらくは成り行きを見守るつもり。この欲望の行く末は自然消滅か、はたまた登り詰めて打って出るか、自分でもまだ先は読めない。