ふるさとの山


日本百名山』の白山の項に曰く。

「日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。」
 そして深田久弥は「私のふるさとの山は白山であった」と続ける。白山ほど立派ではないが、自分にも確かにふるさとの山がある。それがこの金剛・葛城の2山だ。大阪平野奈良盆地を分けて南北に連なる、たかだか1000m程度の山並みだが、南河内と呼ばれる大阪平野の南部から見ると、いつもこの2山が東の空に大きく裾を引いて、どっしりと横たわっている。特に金剛山は、頂上がゆるやかな三角を描き、その分だけ葛城山よりも高く、目を引くことも多い。冬の朝、その形のいい頂上が砂糖でもふりかけたようにふんわりと白くなる。登校の途中でそれを目にして、「ああ、金剛山に雪が降ったな」と思うと、きまって晴れやかな気分が湧き起こる。そんなことを義務教育の9年間、毎年経験してきたように思う。
 しかし、今考えると、おそらく山を白くしていたのは、雪ではなく、霧氷だった。金剛山の山頂部にはブナ林があり、冷え込んだ夜、風が枝にぶつかって、水蒸気が結晶する。枝という枝が白く化粧するから、遠くから見ると、ふんわりと砂糖菓子のような白になる。葛城山にはブナ林はないから、白くなるのは本当に雪が降ったときだけだが、それはあまり印象に残っていない。金剛山の霧氷は雪に先がけて山を白くし、麓に厳冬の到来を告げていたのだろう。
 山登りをするようになって、一度だけ金剛山に登ったことがある。雪の金剛登山は今も大人気で、子どもとふたり、登山口からずっと人に連なって歩き、帰りはさすがに嫌になって、満員のロープウェイで下りた。実家の風呂で温まって帰ったが、その後、ふたりともきついインフルエンザにやられたのは余計な土産だった。山へ行って病気をもらって帰ったのは、後にも先にもあの時だけだ。それ以来、金剛山はやはり眺める山だと思っている。